Managing Insecurity 書評

Managing Insecurity: Field Experiences of Security Sector Reform

Managing Insecurity: Field Experiences of Security Sector Reform

世界各地の治安部門改革(SSR)を、主導するアクターによって分類し、国ごとにSSRの事例分析を行う文献。その分類は、(1)他国が主導(パプアとソロモン諸島におけるオーストラリア、イラクにおけるアメリカ、シエラレオネにおけるイギリス)、(2)国際組織が主導(東ティモールにおける国連PKOモザンビークにおけるUNDP、セルビアにおけるOSCE)、(3)自国政府が主導(ペルー)、(4)開発銀行が主導(コロンビアとウルグアイにおける米州開発銀行(IDB))、(5)民間請負企業(ジャマイカにおけるAtos Consulting)となっている。

SSRは複合的で統合的な活動であるため、活動全体に対して成功か失敗かの評価を下すのは容易ではない。SSRという大きな枠組の中でうまくいった活動もあればうまくいかなかった活動もある。しかし、オーストラリアのSSRとIDBによるSSRは、全般的に見て比較的うまくいった例として扱われている。ただし、前者の成功は共通の文化から来る被支援国側の親近感という地域固有の要因もあるので、他の地域に適用できるかはわからない。また後者のIDBは政治的問題や警察への直接関与は極力避け、計画と融資のみ行い、目標も暴力犯罪の予防に特化されたものであったため、SSRの活動内容自体は非常にシンプルなものであった。(IDBの活動は、DV被害者の救済や若年層支援など様々な活動と一緒に行われた警察改革支援であったため、支援活動全体を指してSSRと呼ぶことに疑問を感じる向きもあるかも知れない。)コロンビアでは政府の継続的な支援もあったため、殺人件数が劇的に減少するという効果を生み出している。

失敗の要因として挙げられているものは他の文献や論文でも述べられているものが多いが、本書の議論の中で印象に残ったのは、SSRのドナーが長期の関与を必要とする制度改革よりも短期的に効果の出やすい訓練活動やコミュニティ警察の支援をやりたがることが多いこと、またSSRの効果を測定する基準が増加したまたは訓練した兵士や警察官の人数、回収した武器や採取した指紋の数、逮捕件数などわかりやすい数字に依拠しがちであること、などである。そこには評価基準の恣意性という危険性が常に潜んでいることを意味する。さらに、編者のPeake、Scheye、Hillsが最後の結論の章で述べているように、SSR研究はSSRが政治と密接に関わる活動であることを認めているにも関わらず、実際のSSRプログラムは政治的な文脈を無視して技術的・一般的に計画・実施されているものが多いこと、またSSRに関わる非国家主体(non-state actors)の役割に対する関心が十分に払われていないこと(その意味でSSR研究は非常に“state-centric”であること)、も非常に多くの示唆を含む議論である。

ジャマイカの事例の章でManciniが述べていることは、SSR研究のより根本的な問題に関わっているように思われる。すなわち、SSRは民主主義、説明責任、透明性、治安と開発の調和、ローカル・オーナーシップ、コスト管理など野心的な目標を常に掲げるが、これらの原則のうちのいくつかは先進民主主義国でも達成は容易ではないと述べていることである。もしSSRが掲げる理念・規範が紛争地の現実にそぐわない点が部分的にあるのであれば、理念のほうが現実に合わせて修正されなくてはならないのではないか。様々な理念・規範間の衝突についても実証研究が必要であるように思われる。