森村進編著『リバタリアニズム読本』

リバタリアニズム読本

リバタリアニズム読本

自生的秩序(spontaneous order)について(土井崇弘、30-31頁より)

自生的秩序とは、ごく簡単にいえば、「人間の行為の結果ではあるが、人間の設計の結果ではないもの」のことである。それは、遺伝子によって決定されるものという意味での「自然」と知性による設計の産物という意味での「人工」との中間に位置し、本能と理性の中間に位置する、第三の範疇に属するものである。自生的秩序の典型例は言語である。言語以外では、市場・法・貨幣などが、自生的秩序の例としてしばしば言及される。(30頁)

このような自生的秩序の重要性を強調する論者として、スミス、ヒューム、ハイエク、マイケル・ポランニーなどの名前を挙げることができる。なかでもハイエクは、自生的秩序論を展開する二十世紀の最も偉大な思想家といってよかろう。ハイエクの自生的秩序論は、彼の知識論や構成主義批判と密接に関係している。


ハイエクの知識論は、ごく簡単に要約すれば、「社会秩序について考察を加える際に考慮に入れなければならない知識は、無数の個々人の間に分散された状態でのみ存在しうる」というものである。このような知識論に基づいて、ハイエクは、「社会秩序に関する知識すべてが統一的知識として存在し、それを知る一人の人間がその知識を基礎にして望ましい社会秩序を設計できる」という考え方――彼はこれを「構成主義(constructivism)」と名付ける――を厳しく批判する。彼によると、無数の個々人に分散した知識を最大限に利用するためには、個々人が保持している知識を自らの目的のために自由に使用することを最大限に尊重して、分散した知識の相互交流・相互活用に基づく秩序形成を重視しなければならない。それゆえハイエクは、知性の命令ではなく、個々人の自由な活動の相互調整に基づいて形成される秩序――すなわち、「人間の行為の結果ではあるが、人間の設計の結果ではない」自生的秩序――の有用性を強調するのである。(30-31頁、下線引用者)

ただし、自生的秩序の評価をめぐっては、リバタリアン内部においても対立が存在するという点に注意を喚起しておきたい。例えば森村進は、自生的秩序の有用性を強調するハイエクの議論に対して、公共事業における談合などの例を挙げて、「自生的秩序であっても、諸個人の自由を無益に制約する制度は、有害なはずであり、リバタリアニズムからは認めることができない」という批判を投げかけている。リバタリアニズムを支持する者にとって、自生的秩序をどのように評価すべきかという問題は避けて通れないものである。(31頁)