「日本人は努力の総量が足りない」

東洋経済ONLINE 伊藤穣一×波頭亮 対談より。
http://toyokeizai.net/articles/-/17012

教育とラーニングの決定的な違い
伊藤 日本と米国は、教育とラーニングという違いがあるんじゃないかと思う。出題者が求める答えを返すと満点になるのが教育で、出題者の意図とは違うけれど、出題者をひっくり返すほどの答えなら満点になるのがラーニング。日本はまさに教育国家でしょう。権威にいかに従うかを教えている。規格品をつくる工場労働者を育成するためには必要かもしれませんが、多様化の時代になり、オリジナリティが求められるようになると、権威に従う人材より「それはちょっと違うんじゃない」と言える人材のほうが重要です。

もう1つ思うのは、日本のインダストリー同様、教育までもが縦割りになっているということです。メディアラボでは、学生や教師も含めて、1つの専攻でずっと来ている人間はおそらく1人もいないでしょう。みんな2〜3回専攻を変えています。

コンピュータ・サイエンスをやっている学生が、「ちょっと行ってくる」と言ってスタンフォードでバイオロジーPh.D.を取得し、またMITメディアラボに戻ってきて、遺伝子とコンピュータをつなぐ新しい研究を始めるといったことが日常的に行われているんです。これはメディアラボだけの話ではなく、米国の大学教育では一般的なことです。

米国のベンチャーが強いのは、そういうところにも理由があるかもしれません。業種や職種の垣根が低く、デザイナーとエンジニアとビジネスパーソンが一緒になってプロダクトをつくる。アップルがいい例です。デザインと技術が一体となっている。でも、日本ではデザインやアートの世界とエンジニアの世界はつながりません。すべて縦割りになっている。それは異分野をクロスオーバーすることが少ない、大学の教育現場に原因があるような気がしますね。

日本人は努力の総量が足りない
波頭 最近見た、最もショッキングな数字は、大学卒業までに読むテキストの量の日米比較で、米国の大学生は4年間で400冊読むのに対して、日本の大学生はわずか40冊しか読んでいないということらしいです。本を読んで理解するというのは、スポーツでいえば筋力トレーニング。その基礎的なトレーニングが、日本人は圧倒的に少ない。

伊藤 おっしゃるように、コンピュータ・サイエンスの筋トレがしっかりできていれば、そこにバイオロジーの知識や研究成果を乗せることができますが、筋トレをやっていないと、乗せたくても乗せることはできませんね。

波頭 基礎学習、さらにいえば努力の総量が、日本人には足りないように感じます。日本でエリートだった人間も、米国に留学すると、あまりの学習量の違いに皆ショックを受けるようです。米国に限らず世界のトップランナーたちはそれくらい勉強している。ちょっと日本人はラクしすぎていると言わざるをえない。

建設的な議論か、隷属的な追随か
波頭 日本では建設的なクリティカルシンキングやクリティカルディスカッションが弱いんです。権威に従属するか、さもなくば徹底的にこき下ろすか。議論を戦わせて互いに考えを深めるということができない。

(中略)

波頭 数学の天才ピタゴラスは、無理数の存在を証明した弟子を殺してしまうという過ちを犯したとされていますが、日本ではそのような過ちをいまだに繰り返しているようです。正しいことに対する敬意、あるいは違うことを言うことの価値が、日本ではまだ十分理解されていない。

伊藤ディベートの仕方を知らないということもあるでしょうね。メディアラボはMITの建築学科の下にあるので、どんな研究も実際に「モノ」をつくるんですよ。議論は、つくられたモノに対する評価が中心となるので、比較的客観的なものになりやすい。エゴから離れたところで、建設的な議論ができるんです。しかし、概念だけの議論は、相手へのアタックになりやすいから、感情的な対立になってしまうのでしょう。

波頭 なるほど。概念の戦いでは、価値観や美意識など人間のコアの部分の良し悪しを評価することになりやすいから、そうなると譲れなくなってしまう。異なること、多様であることの必要性や、ディベートのスキルを日本人はもっと学ぶ必要があるでしょうね。

牛に乗りながら、馬を探せ
伊藤 プランA、プランB、さらにプランZを持っておくことが大切なんです。プランAというのは今やっている仕事、プランBは夢、つまり自分が本当にやりたいことです。日常の仕事をこなしながら勉強を重ね、プランBにリアリティが出てきたら、それに乗り換える。そのために、余暇は酒を飲んで終わるのではなくて、自分のバリューを磨いたり、勉強して知識やスキルを磨いておくことが重要になってきます。ただ、そうは言っても、プランBに乗り換えて失敗することもある。そのときに帰れる場所であるプランZを用意しておくことも忘れてはいけません。

中国に「牛に乗りながら、馬を探す」という諺がありますが、常に馬を探していることが大事です。駄目なのは、牛に乗りながら、ただぼやいているヤツ、あるいは馬も見つかっていないのに、後先考えずに牛から降りてしまうヤツです(笑)。

それから、プランZを用意しておくことは重要ですが、あまりに細かい計画は逆効果を生むことも付け加えておきましょう。計画を綿密に立てると偶然性(セレンディピティ)を排除することになります。偶然性のないところにはラッキーもチャンスも生まれません。そうではなく偶然性のなかからチャンスをキャッチすることが大切なのです。