本格的な少年時代研究の不在

 

ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか
 

 レイチェル・ギーザ『ボーイズ:男の子はなぜ「男らしく」育つのか』ディスクユニオン、2019年より。

 

ジェンダーステレオタイプが女の子の自尊心や行動や進路に与える影響については、学術研究やメディアでふんだんに取り上げられている。多様性のある強い女性ロールモデルが必要であると認識されているし、バービー人形やポルノが女の子の身体イメージやセクシュアリティに及ぼす影響は明確に分析され、批判されている。(p.16)

 

しかし私たちは、男の子に対するジェンダーステレオタイプやその影響についても同じくらい熱心な配慮を向けてきたとは言えない。ベル・フックスは2004年の著書『The Will to Change: Men, Masculinity, and Love(変わろうとする意志:男性・マスキュリニティ・愛)』において、フェミニズムの過失のひとつは、「新しいマスキュリニティや男性のありかたについてのガイドラインや方策が必要であるのに、その土台となるべき本格的な少年時代研究をしていないことだ」と主張する。研究不在の理由のひとつは、性差別的社会において一般的に男の子は女の子よりも高いステータスにあるため、得することはあっても損はしていない、と想定されているからである。しかし、フックスが指摘するように、「ステータスも特権で得られるものも、愛されることと同じではない」のだ。たしかに私たちは、マスキュリニティにある種の性質――例えば、身体的な攻撃性、性的な支配性、感情的にストイックで、タフで、自己制御力があること――が期待されていることに対しても、そして、そのような期待を満たしているか否かに関わらず男の子たちの全員に及ぶ影響に対しても、充分に批判的な視線を向けていなかった。そして、このようなマスキュリニティのルールを認識したり批判するときがあっても、それはたいてい暴力行為や学校銃撃、集団レイプ、オンラインハラスメントといった事件が起こったときか、あるいは学力低下、モラトリアム化、うつ病や自殺率の増加など、男の子の抱える危険にかんする統計結果を受けての反応であることが多い。私たちは、男の子のことを恐れるか、心配するかのどちらかなのだ。しかしそんな感情や、彼らの役には立たない。むしろ彼らを、暴力をふるい、大学からドロップアウトし、携帯電話やビデオゲームやポルノに依存し、両親の家の地下にある自室にこもり、ネット掲示板で過激思想に感化され、ドラッグに溺れ、ギャングに巻き込まれる――そんな病的な存在として捉えるようになる。(pp.16-17)