二項対立の崩壊は、一部の人々にとっては「世界の終わりの始まり」

 

ボーイズ 男の子はなぜ「男らしく」育つのか
 

 レイチェル・ギーザ『ボーイズ:男の子はなぜ「男らしく」育つのか』ディスクユニオン、2019年より。

※強調・下線は引用者

目まぐるしく変化するこの時代に、確実性を求めたいという気持ちは理解できる。2015年の「ニューヨークタイムズマガジン」の中で、文化評論家のウェスリー・モリスは、2010年代を特徴づけるのは「文化的アイデンティティの大移行である」と述べている。「ジェンダー役割の区別は消えつつあり、人種の殻は脱ぎ捨てられていく。私たちは、トランス、バイ、ポリ/オムニ/アンビ(多/全/両)などの接頭語が付くアイデンティティを普遍的なものとして理解するようになった。何世紀ものあいだ、女性と男性、人種と人種は、隣り合いつつ分離されて生きてきたが、厳格に敷かれていたジェンダーや人種の境界線が、概念上だけであるにしろ、ついに破られているのだ。流動性、寛容性が広がり、二項対立が破壊されている感がある。私たちは、互いに同じものになろうとしている。同じであり、同じではない」。今振り返ってみれば、境界線の崩壊を喜ぶのは時期尚早だったと思えるし、モリス自身さえ記事の終わりには、この新たな流動性が、現状の維持を望み、むしろ旧態に回帰したいと願うような根強い保守勢力を扇動していることに触れている人種間交際が増えてマルチレイシャルの子どもが増え、トランスジェンダーの権利と認知を求める運動が広がり、2040年代にはアメリカとカナダで白人がマイノリティになるという人口予測が出ている――このような変化から明白になっているアイデンティティの不安定性は、一部の人々にとって、ただ戸惑いを感じる要素というだけではなく、世界の終わりの始まりを告げるものなのだ。今、変化に対して起こっている揺り戻しは、反移民感情であれ、出生時に決定された性別用のトイレしか使ってはいけないと定める法律であれ、従来慣れ親しんできた権力力学や人口構成へ押し戻そうとする手段なのだ(pp.60-61)