仕事の選択は「好きか嫌いか」ではなく「できるかできないか」(林修)

 

林修の仕事原論 (青春新書インテリジェンス)

林修の仕事原論 (青春新書インテリジェンス)

  • 作者:林 修
  • 発売日: 2016/11/02
  • メディア: 新書
 

林修林修の仕事原論:壁を破る37の方法』青春出版社、2014年より。

 ※引用はソフトカバー版。強調は引用者。

 

僕は、好きなこと、やりたいことを仕事として選ぶという感覚は皆無です。20年以上やってきた予備校講師という仕事だって、(大)嫌いな仕事ですが、(誰よりも)できるという自負のもとに続けてきました。

もちろん、自分でそう思ってきただけでなく、生徒の動員状況や満足度といった客観的な評価のもと、決して努力を「主観的に評価する」ことなく、この仕事を続けてきたのです。(p.21)

  

プロ野球選手や物理学者といった「夢」を、周囲を見回しながら次々と諦めて、言い換えれば自分の可能性を一つひとつ消しながら今の講師業にたどり着いたのです。こういう「仕事観」を持つ僕は、一方で、好きなことは趣味としてお金を払ってやればよいと思っています。(p.22)

 

その分野が自分に適性があり、勝てる場所だと認識し、その技術やサービスに対して払われるお金に責任をとる。責任をとることに対してプライドを保てる。それが、僕の考えるプロフェッショナルであり、僕の「仕事観」です。

加えて、プロである以上は満点しか許されないとも考えています。授業料を払う学生なら、80点でも合格だという場合も多いでしょう。しかし、お金をもらうプロは、ミスをしないのが当たり前なのです。(p.22)

 

やりたくもない予備校講師を長年やってきたことで、ようやく自分が一番やりたい本を書くという仕事の依頼を次々といただけるようになりました。(p.25)

 

みなさんは、自分の「交換可能性」ということについて考えたことがありますか?僕は、このことに絶えず自覚的です。仕事を断ることは簡単ですが、僕でなければできない仕事などほとんどありません。東大現代文の指導だけは、他の予備校講師の低レベルな解答を見て、僕だけしかできないと思い込んでいますが、これだってたった一人の優秀な現代文講師が現れれば、簡単に揺らいでしまうんです。ただ、20年以上もそういう人が現れていないのも、また事実ですが(笑)。(pp.25-26)

 

そう、僕にできる仕事は、基本的には他の誰にでもできるのです。にもかかわらず、相手はぜひ僕に、と依頼してくれた――。どこに断る理由があるのでしょうか? ありがたくお受けして、そこで全力を尽くすだけです。

そして、依頼してくれた相手が、「やっぱり、林さんにお願いしてよかった」とほほ笑んでくれれば、それでよいではありませんか。こういった「交換可能性」は、すべての人に当てはまる話なのです。

「オレがいなかったら、この会社は立ち行かないよ」

こんな妄言はありません。その人がもしいなくなっても、おそらくその会社はしっかり営業を続けるでしょう。組織とはそういうものであり、また、そういうふうに組織づくりを行うべきなんです。(p.26)