David Campbell, Writing Security書評⑤

sunchan20042005-08-31

【Chapter 4. Foreign Policy and Difference】

タイトル用の表記のため、本章のタイトルは「Foreign Policy and Difference」と頭文字が大文字になっていて紛らわしいのだが、前章の分類法(「foreign policy」と「Foreign Policy」)で行けば、この章で取り扱われるのは前者の方である。すなわち、「あらゆる差異化の実践と排他の様式」(68頁)としてのより一般的な性格を持つ「foreign policy」について語られる。否定的なものと肯定的なものの両方を含めて、あらゆるレベルにおける差異化がどのようにして行われるのか、脅威が二つの種類のforeign policyを通してどのように表現されるのかが本章での焦点となる(73頁)。

本章でのキーワードは「身体の政治」(body politic)である。「身体」を比喩に使うことによって、社会的・政治的にどのようにして差異が人為的に創り出されて来たのかがいくつかの事例とともに紹介される。それは、人種、民族、性、居住地区など範囲は多岐に渡る。例えば、ユダヤ人、イタリア人労働者、アフリカ人、先住民、ゲイ、女性、エイズ患者、スラム街居住者などといった存在は、「健全な身体たる社会」に対する脅威となる「病気」として比喩的に語られてきた(87頁、89〜90頁)。また、一つの社会を一つの体に例えて、部位を比喩として用いたものもある。中世においては、妻を支配する存在としての夫を頭部に、妻を体に例える比喩と並んで、王を頭部に、そして臣民を体に見立てる比喩が存在した(79頁)。これは中世において、神学者たちがキリスト教社会全体を一つの体に見立て、頭部をキリストに例えたものをそのまま国家に転用したものであった(77〜78頁)。

こうした「社会医学的言説」(sociomedical discourse)は、差異化が本来的にもつ「倫理的空間の創出」を裏書きするものとなっている。「内部/外部」の区別は「優/劣」の区別によって可能となり、同時に後者の区別を助長するよう働く(73〜74頁)。この「社会医学的言説」によって「健康的なもの(healthy)」と「病的なもの(pathological)」が区別され、前者を正常な状態、後者を正常から逸脱した状態として区別する(89頁)。そして後者が(実際には存在していない)社会全体の一体性(a social totality、62頁)に対する危険な存在として否定的な意味の付与(stigmatize)が行われる。本書におけるこれまでの議論からも明らかなように、「病的なもの」「危険なもの」として認識された外部は、内部にいる者たちのアイデンティティの形成になくてはならないものである。差異こそが「アイデンティティの必要条件」(81頁)だからである。

こうして起こった「社会の医療化」(medicalizaiton of society、82頁)は、医学の焦点を「健康的なもの」(the healthy)から「正常なもの」(the normal)へと変えさせ、標準化ルールを生み出していった(82頁)。社会医学的言説が倫理的空間を創出することによって、「病的なもの」と認識されたものを除去することに対する正当化が可能となる。この意味において、foreign policyは「隔離がもつ倫理的力」(88頁)になぞらえることができる。それによって、脅威が「はっきりと異なった遠い場所から派生してくるものとして理解される」(88頁)ようになる。この時、言説は強力な政治的意味合いを帯びることになる。

ここで注意しておかなくてはならないのは、このような社会医学的言説は、それが示す病的なものが現実には存在していなくとも、さらには現実と矛盾するものであったとしても、言説の有効性は維持されるということである。(例えば、ハンセン病から生まれた倫理的比喩表現は、この病気が完全に克服されたあとも長く残り続けた。87頁)この差異の比喩的表現は、現実を記述したものでも記号化したものでもなく、シンボルとして機能する(87頁)。「表現されたものをどう感じるべきかを決めるために、文化的に符号化された経験の中でいかなるイメージを追求すべきかを教えてくれる」(87頁)のがその特徴である。そこには差異を明確にする規範がしっかりと組み込まれていて、単なる現実の記述や要約を越えて、当為としての言説になっている。

foreign policyにおいて形作られた差異が否定的な意味合いを持ち、かつそれが国家の対外政策として機能する時、それはForeign Policyへと変化する。肯定的な意味合いに対しても開かれていたforeign policyの言説が、否定的な意味合いを持つことによって差異の言説を強化・再創出するForeign Policyの特性を帯びることになる。これは「真の国民とは誰のことを指すか」という議論において顕著な特徴であり、とりわけ米国においてそうであった。「偽の国民」を区別し否定的な意味を付与することで、「真の国民」のアイデンティティを構成し続けてきた(89〜90頁)。次章においては、米国史の中でそれが実際にどのように行われてきたかを見ることで、「アイデンティティ/差異」の関係性を浮き彫りにする。