David Campbell, Writing Security書評③
【Chapter 2. Rethinking Foreign Policy】
本章では、対外政策に対する国際関係論における主流の見方が批判的に問い直される。例えば、国際関係論で頻繁に登場する方法論的対立軸に、分析レベル(level of analysis)の相違がある。対外政策決定における国内要因に重点を置く分析は、方法論的個人主義の立場に立って、国内の様々なアクター間の戦略的相互作用(strategic interaction)に注目する。他方、国際システムが及ぼす影響に注目する分析は、個々の要素には還元できないシステムの影響に着目する。(Kenneth N. Waltzの議論を参照。)しかし、両者に共通しているのは「国内/国外」の区別を最初から前提にして論じている点である。Campbellは、こうした対立軸を所与のものとして論じることを否定し、そもそも「国内/国外」という対立軸ができるに至ったプロセスを重視し、これまでの主流の議論のように、対外政策を「利害によって動くアナーキーな世界の中で、国家内の確固たるアイデンティティを代表した道具的理性の外的展開」(37頁)として見ることが問題を抱えていることを指摘する。分析レベルの相違に関係なく、我々が対外政策を論じるとき、それがどこの国の対外政策を指しているのかは当然明らかなものと考えている。すなわち、「政策の前に先に国家がある」(38頁)ことを前提にしており、これは国際システムを論じる際に、国際システムが存在するより先にまずは国家が存在していることを前提に論じるのと同様である(51頁)。このような見方をCampbellは「認識論的現実主義」(epistemic realism、4頁)によって支えられたものとしている。それは「世界は、そのものについての考えや信念から自由な状態で存在している物質からできている」(4頁)とする立場であり、リアリストやマルクス主義者がまさしくそれに当たる。
そのような主流の考え方に対して、Campbellは国際システムを「実践の領域」と見なす。その領域の中で主体の一部が重要なアクターとして立ち現れる。その実践の領域の中で正統な意味が確立され、ある特定の秩序が市民権を与えられ、そうした実践が立ち現れたアクターを支える役割を果たす(39頁)。すなわち、国際システムが出来上がる前にすでに国家が存在しているのではなく、絶え間なく続く実践の領域において意味と秩序は形作られまたは変えられ、アクターのアイデンティティが定まっていくのである(51頁)。
国際システムという実践の領域において、日々繰り広げられているのが対外政策の作成である。この対外政策が国家のアイデンティティ、ひいては存在そのものを保持する機能を果たしている。対外政策の中で脅威を定義することで、言い換えれば「我々は誰「ではない」のか、我々は何を恐れるべきなのか」(48頁)を定義することで、我々自身の輪郭をはっきりさせているのである。Campbellはそうした状況を指して、「脅威の言説」がしばしば「他者性の戦略」(strategies of otherness、51頁)を採用すると述べている。また、中世にキリスト教会が死に対する特定の立場をとることで自身の権威を高めたことから、「脅威(究極的には死)は、従って、近代主権国家体制にとっての新たな神であると考えられるだろう」(50頁)とまで述べている。
以上の議論から、対外政策に対する従来の印象は覆されることになるだろう。対外政策は、互いに意見の異なる国家どうしをつなぐ「架け橋」となるものではなく、むしろ差異を創り出すものとして見なくてはならない(51頁)。
最後に、次章においてホッブズの『レヴァイアサン』の読み直しを行うことが予告されている。ホッブズは従来とは異なる読み方が可能で、それによって対外政策に対する認識が改められると述べている。すなわちそれは、『レヴァイアサン』の内容が、実は著者の主張を支えるものになり得るということを意味している。
(補遺)
本章の主題である対外政策論と直接の関係はないが、16世紀の宗教改革を契機として起こった教会の権威の低下に伴って、アイデンティティの源泉がキリスト教から国家へと変遷していったことが詳細に記述されている(43〜48頁)。ヨーロッパの啓蒙運動は、理性と科学的合理性によって教会の権威に大打撃を与え、長らく人々のアイデンティティの因となり続けてきた教会に代わる新たな社会秩序を形成していったのであった。宗教改革以前においても、キリスト教は確固たるアイデンティティの源泉であったとは到底言えないが、それでも中世ヨーロッパにおけるいかなる統合も教会の存在なくしてはあり得ないものであった(44頁)。その教会が衰退を余儀なくされ、規範による統制力の低下に伴って、社会における権威の秩序も崩れていった。意味と秩序は書き換えられ、新しい秩序を支える新たな力関係が出来上がっていく。それは教会がローマ帝国の崩壊の際にアイデンティティの危機を救うものとして見られた時と同じ状況であった(43〜44頁)。