David Campbell, Writing Security書評⑨

sunchan20042005-10-07

【Chapter 8. The Politics of Theorizing Identity】

この章では、アイデンティティの理論を従来の国際関係理論に取り入れることで、「政治的なるもの」(the political)の範囲が国家に矮小化されることを防ぐことができると述べられている。「言説」「テクスト」「ライティング」といった用語を使う議論に対して伝統的な国際関係論から向けられた「現実世界で起こっていることから切り離されている」という批判を真っ向から拒絶し、政治と歴史から切り離された「認識論的現実主義」(epistemic realism)から自身を解放することなしに、この世界における生死の問題を語ることはできないと論じる(193〜194頁)。アイデンティティ論が説くのは、それが従来のアプローチに取って代わって回答を提供できるということではなく、生における曖昧さや不確定性をより尊重することが可能になるということである(194頁)。

脅威とは外部に存在して緩和したり乗り越えたりできるようなものなのではなく、我々が世界と持つあらゆる関係の一部を成すものである。それは世界との関係を構築する上で肯定的なものにもなり得るし、否定的なものにもなり得る(202〜203頁)。

アイデンティティの理論によって、現在主流と見なされている「権力の言説」(203頁)はその基盤を揺るがされ、アイデンティティの再理論化が可能となる。それによって、主権国家という枠組みによって「植民地化」された「政治的なるもの」に対する理解がより広い分類によってなされるようになる(199頁)。主流の言説は決して「政治に本来的に備わった特徴」(199頁)を意味しているのではなく、そこには常に緊張が存在していて、絶えず変化にさらされている。ゆえに、「脅威の言説」は常に再解釈と新たな表現方法の可能性を有している(198頁)。

抽象的な議論ではあるが、アイデンティティ論が国際関係理論に及ぼす影響の大きさが理解できる。現在主流と見なされている理論や言説も、社会的・文化的・政治的な解釈の結果できあがったものであって、それが未来永劫に維持されていくと考える根拠も必要性もないということだろう。

次の最終章では、アイデンティティ理論の展望が語られる(と思う)。