アンダーソン『想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行』書評

国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である(24頁)

広く知られていながら、詳細な意味までは知られていない定義ではある。副題にある通り、本書は、ナショナリズムがいかにして形作られ、地球の隅々まで普及するに至ったのかを説明するための、一つの壮大な試みである。

国民は[イメージとして心の中に]想像されたものである。というのは、いかに小さな国民であろうと、これを構成する人々は、その大多数の同胞を知ることも、会うことも、あるいはかれらについて聞くこともなく、それでいてなお、ひとりひとりの心の中には、共同の聖餐(コミュニオン)のイメージが生きているからである。(24頁)

ではこうした想像の国民共同体は、いかにして発生・定着したのか。

国民という新しい想像の共同体が生れる前には、ヨーロッパには別の想像の共同体が存在した。それは宗教共同体である。しかし「俗語(パリのフランス語、ロンドンの[初期]英語)が権力の言語へと地位を上昇し、ラテン語の競争者となること」(82頁)によって、キリスト教世界という想像の共同体は衰退へと一歩踏み出すことになった。しかし、これは宗教共同体の衰退の一要因にすぎない。新しい想像の共同体、すなわち「国民」の誕生を可能にしたのは、

生産システムと生産関係(資本主義)、コミュニケーション技術(印刷・出版)、そして人間の言語的多様性という宿命性のあいだの、なかば偶然の、しかし、爆発的な相互作用(82頁)

であった。

印刷・出版技術の革命的な発展は、小説と新聞という、「国民という想像の共同体の性質を『表示』する技術的手段を提供した」(50頁)。実際にはフランス語、英語、スペイン語などの口語俗語は極めて多様であり、それらの口語を話す者どうしの会話でも、相手の言葉を理解することは困難なほどであった。しかし、

かれらは、印刷と紙によって相互了解できるようになった。この過程で、かれらは、かれらのこの特定の言語の場には、数十万、いや数百万もの人々がいること、そしてまた、これらの数十万、数百万の人々だけがこの場に所属するのだということをしだいに意識するようになっていった。出版によって結びつけられたこれらの読者同胞は、こうして、その世俗的で、特定で、可視的な不可視性において、国民的なものと想像される共同体の胚を形成したのである。(84頁)

しかし、印刷・出版技術の発達のみがこうした共同体の想像を可能にしたわけではない。出版に資本主義が結びついたとき、それは決定的となる。

印刷術は、ヨーロッパに出現するおそらく五〇〇年も前に、まず中国で発明された。しかし、そこでは、資本主義が存在していなかったために、いかなる大きな衝撃も、まして革命的衝撃など、まったく及ぼさなかった(89頁)

という事実を想起しておくことは有益であると著者は指摘する。

口語の多様性があまりにも大きなものであったため、

かりに出版資本主義がこれらひとつひとつの口語を潜在的俗語市場として開発しようとしたら、出版資本主義はとるにたらない小規模なものにとどまっていたであろう。しかし、これらさまざまな個人言語は、ある明確な範囲内ではるかに少数の出版語に組み立てることができた。(略)そして、親縁関係にある俗語の『組立て』に資本主義ほど貢献したものもなかった。それは文法と統辞法の課する範囲内で、市場によって普及しうる、機械的に複製された出版語を創造したのである。(83〜84頁)

最後に、そして決定的に重要なのは、人間の言語的多様性という宿命性である。人類の言語を統一することが絶対的に不可能であることを、著者は以下のように言い表す。

資本主義にいかなる超人的偉業が可能であるにせよ、死と言語は、資本主義の征服しえぬ二つの強力な敵だからである。特定の言語は、死滅することもあれば、一掃されることもある。しかし、人類の言語的統一はこれまでもできなかったし、これからもありえない。(82〜83頁)

こうして多様性を宿命とする言語が、異なる言語話者間の「相互了解の不可能性」を通して、新たな想像の共同体の形成に貢献したことは驚くにあたらないだろう。

ただ、ここで著者が注意を促しているのは、この言語の宿命性を、特定の言語、特定の領土的単位に関連させて論じるナショナリストイデオロギーと同一視してはならないということである。重要なのは、あくまで「宿命性、技術、資本主義のあいだの相互作用」(83頁)なのである。

一九世紀、とくにその後半には、ヨーロッパで国民主義運動が昂揚し、「多くの君主に対し、文化的な、そしてそれ故に政治的な難問をますます突きつけるようになった。」(144頁)というのも、「これら王朝の多くが拠って立つ正統性の基礎が国民的なることとおよそ無縁だったからであった。」(同上)その結果、これら君主の全ては、

国家語としてどこかの俗語を採用し、またヨーロッパ全域で国民的理念の威信が急速に高まっていくにつれ、ヨーロッパ・地中海地域の君主たちは、国民的帰属という誘いにしだいににじり寄っていくようになる。(略)こうした新しい国民的帰属は、資本主義、懐疑主義、科学の時代にあって、これまでのような憶測上の神聖性や古さだけに拠っているのがむつかしくなっていた王権の正統性を支えるつっかえ棒となった。(146頁)

このような現象に対して、著者は「公定ナショナリズム」という言葉を使う。これは「とりわけ中世以来集積されてきた広大な多言語領土において、(ヨーロッパ諸君主の―評者)帰化と王朝権力の維持とを組み合わせる方策」(147頁)であると言う。さらにまた、「公定ナショナリズムは、共同体が国民的に想像されるようになるにしたがって、その周辺においやられるか、そこから排除されるかの脅威に直面した支配集団が、予防措置として採用する戦略」(165頁)であるとも言っている。王朝や貴族は、このように自然発生的な民衆ナショナリズムの波に乗って、自分たちの正統性を再編成しようとしたのだった。

この帝国・王朝的利益の維持と密接に結びついていた「公定ナショナリズム」は、ひとたびそれが「だれにでも見てとれるようになると」、等しくさまざまの政治・社会システムによって複写できるものとなった。(265頁)従って、たとえ帝国・王朝を滅ぼした急進的な革命家にとってさえも、権力掌握後の彼にとって、この「公定ナショナリズム」の妥当性は大きいものとなる。つまり、帝国・王朝が残した国家の象徴としてのものを、革命家も引き継いだのである。

トロツキーの困惑にもかかわらず、ソヴィエト連邦の首都は帝国の首都モスクワに戻され、ソ連共産党指導者は、この社会主義国家の広大な領土のうちにあるすべての候補地のなかから、皇帝権力の古城クレムリンを選んで、ここで六五年にわたって政策を策定してきた。同様に、中華人民共和国の首都は満洲族の首都であり、中国共産党指導者は天子の紫禁城に集合する。事実、そうした使いふるされ、温もりののこる座によじのぼらなかった社会主義指導部など、まずみあたらない。(略)まえの所有者が逃げだしてしまった大邸宅の複雑な配電システムのように、国家は、新しい所有者がスイッチを入れ、ふたたびあのまえとかわらぬ輝かしい自己をとりもどすことを望んでいるのだ。(265〜266頁)

アジア、アフリカの植民地世界における公定ナショナリズムは、ヨーロッパのそれとは異なる想像の仕方を有していると著者は言う。そしてその想像の仕方を示す三つの権力の制度として、人口調査、地図、博物館を挙げる。

人口調査は、調査の対象となる国民全員が必ずどこかの範疇に分類されるように実施される。つまり、例えば人種が多様である植民地国家においては、混血人は人種や民族の分類が二つ以上にまたがってしまうにもかかわらず、そこではただ一つの人種・民族に分類されなくてはならない。人口調査者は、「アイデンティティが複数あったり、政治的に『おかま』であったり、あいまいであったり、あるいは変化したりする」(277頁)のを容赦しない。

それぞれの人種集団の下に、あの奇妙な下位範疇『その他』が登場するのもこのためである。(略)すべての人がその中にいること、そしてすべての人がひとつの、そしてひとつだけの、きわめてはっきりとした場所をもっていること、これが人口調査のフィクションである。分数はあってはならない。(同上)

しかしこのような国家による人口調査がぶつかった、最も大きな壁は宗教共同体であった。

宗教の礼拝所、学校、法院―そういう所に行くかどうかを決めたのは、人口調査ではなく、多くの人々の選択であった―はひき続き繁盛し」、そのため、宗教共同体は「世俗国家の権威主義的格子地図(グリッド・マップ)とはおよそうまく同調しな」(282頁)かった。これに対して「国家は、これらの制度を規制し、圧迫し、数え上げ、標準化し、ヒエラルキー的に国家機構に従属させるという以上のことはなにもできなかった。(略)宗教共同体をできるかぎり政治的、司法的に民族化(エスニサイズ)し、これによって人口調査と宗教共同体をもっとうまく同調させようという努力がしばしば行われた。(282〜283頁)

19世紀後半になると、東南アジアのシャムでは、地図に国境が記されるようになった。

「国」という共同体が想像されるようになった時、その「国」は厳密な国境で区切られた領土的空間として立ち現れた。人口調査と同様、こうした地図の作成は、曖昧な空間、空白の領域を「埋める」という性格を有していた。

一七六一年のジョン・ハリソンの経度測定器発明以来、地球の丸い全表面は[緯度と経度によって]幾何学的格子に区切られ、これが空白の海、まだ踏査されていない土地を方形の正確に図られた箱のなかに入れてきた。そしてこれら[空っぽの]箱をいわば『埋める』という任務が、探検家、測量士、軍事力によって達成された。東南アジアでは、一九世紀後半は、植民地の、そして少しのちにはタイの、軍測量士の黄金時代であった。かれらは、人口調査者が人々を監視しようとしたのと同様に、空間の監視をめざして行軍した。三角測量ごとに、戦争ごとに、条約ごとに、地図と権力の提携が進行していった。(287頁)

想像の共同体としての国民国家の形成に大きく貢献したものとして、最後に著者は博物館を挙げている。著者いわく、「今日、東南アジアの全域で博物館が増殖していることは政治的遺産相続の過程が一般的にどのように進行しているかを示唆する。」(293頁)

ここで注目すべきは、考古学的努力がいかに大遺跡の復旧に集中されたか(そしてこれらの遺跡がいかにして一般教育用の地図に記入されるようになったか、つまり、ある種の物故者人口調査が進行中だったか)ということである。(略)国家がかなりの額の資金を投資したことからすれば、国家にはそれ自体の非科学的理由もあったと考えてよいだろう。(294頁)

最も重要な理由は、植民地支配国のヨーロッパ人の中にも「東南アジアで生まれる者がしだいに多くなり、かれらは東南アジアを自分たちの故郷とするようになった」(296頁)ことが挙げられる。つまり、先住民が残した文化的遺産を、国家の威信を高めるものとして、新しい想像の共同体である国家に帰属させようとした。

遺跡の考古学はしだいに観光と結びつき、国家はそれとともに一般化された、しかしまたその土地特有の<伝統>の護持者として立ち現われた。古えの聖所は植民地の地図に組み込まれ、地図作成者はその古来の威信を典雅に身にまとった。(またそうした古来の威信はしばしばすでに失われていたが、そのときには、国家はその回復を試みた。)そうした逆説的な状況は、復元された遺跡の周りにしゃれた芝生が敷かれ、いつも説明の立て札が、日付け入りで、あちらこちらに立てられているという事実にみごとに示されている。しかも、そうした遺跡は空っぽで、あちらこちらをうろつき回る観光客を別として人がいてはならない。(また宗教儀式、巡礼もできるだけないほうがよい。)遺跡は、このように博物館化され、これによって世俗的(原文傍点―評者)植民地国家の勲章として新しい位置を与えられた。(296頁)

そしてさらに重要なことは、この国家のシンボルとして博物館化された遺跡が、民衆のレベルにおいても確実に継承されているということである。

国家の勲章としてのボロブドゥール(古代ジャワ彫刻を有する巨大仏教遺跡―評者)、『もちろん、これはあれだ』という、ロゴとしてのボロブドゥール(略)は、それがまったく同じボロブドゥールからなる無限のボロブドゥール・シリーズのひとつであることをみんなが知っているというまさにその理由により、国民的アイデンティティの記号としてますます強力なものとなる。(299頁)

以上の三つ(人口調査、地図、博物館)は、相互に連関することにより、後期植民地国家の「想像の仕方」を明らかにする。その特質は以下のようなものである。(299〜300頁)

①すべてをトータルに捉え分類する格子(グリッド)
これは果てしない融通さをもって、国家が現に支配しているか、支配することを考えているものすべて、つまり、住民、地域、宗教、言語、産物、遺跡、等々に適用できる。そしてこの格子の効果はいつでも、いかなるものについても、これはこれであって、あれではない、これはここに属するものであって、あそこに属するものではない、と言えることにある。それは境界が截然と区切られ、限定され、したがって、原則として数えることができる。

②シリーズ化ともいうべきもの、つまり、世界は複製可能な複数からなるという前提
特定のものはつねにあるシリーズを暫定的に表現しているにすぎず、またそうしたものとして扱われる。

②にあるシリーズ化や複製可能という現象は、出版技術の発達、また特に写真技術によって可能となったものであり、シリーズ化されたシンボルが「空っぽ」であればあるほど、国民を象徴する記号としてはより強く機能することになる。

ロゴは、それが空っぽであること、なんの文脈もないこと、視覚的に記憶されること、あらゆる方向に無限に複製可能であることによって、人口調査と地図、縦糸と横糸(上記の特質2点を指す―評者)を消しようもなく交わらせたのである。(301頁)

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アンダーソンの言う「想像の共同体」の実体がおぼろげながら見えてきたような気がした。近年、個人に至上の価値を置く近代主義的、社会契約説的思考について、その行き着く所に対する懸念がますます高まっており、共同体論(communitarianism)の立場から、アイデンティティよすがとしての国家が再評価されつつある。もちろん本書ではそのような議論に対してはなんら言及してはいないが、どのような形であれ国家を再評価するという過程においては、現に存在している国民共同体、すなわち国民国家がどのようにして普遍化するに至ったのか、その歴史的経緯を辿る作業を避けることはできないだろう。この「想像の共同体」という仮説は、「近代主義の限界」を論じる際の議論の土台になるように思われる。