「畜群」対「個人」

 

ジェラシーが支配する国

「河野さんは、松本サリン事件がオウムの犯罪であることが明らかになってからも、オウムを悪し様に罵ることはありませんでした。河野さんは麻原の逮捕後も、彼を「麻原さん」と呼んでいます。自らにとっての最悪の加害者であった長野県警の警部の名も、自著においては仮名で、しかも「さん」づけで呼んでいます。「……彼にも子どもはいるし、実名を書くと『お前の父ちゃん、犯人をでっち上げようとしたのか』なんて、子どもがイジメられることにもなりかねない。それに彼自体も職務というんですか、上からの命令でやっていたわけですからね。(中略)実名が出ると、彼の家族や親戚が社会的にイヤな思いをするという可能性もあるわけです。それは避けたいな、と思ったんです」」(86頁)

 

「河野さんは、自らを苦しめたマスコミを糾弾するのではなく、人権侵害を繰り返さない報道の仕組みを作るためのシンポジウムに登壇し、発言しています。不条理な経験を強いられながら「うらみ・つらみ・ねたみ・そねみ」にこり固まるのではなく、過ちを犯した者を赦し、彼らにあやまちを犯させた社会のあり方を変えようとする姿勢が河野さんにはみられます。」(同上)

 

「警察、マスコミ、そして河野さんに種々の嫌がらせを続けた人びとは、自らは巨大な組織や「世間」という安全地帯に身をおいて(警察やマスコミ関係者で、この誤捜査・誤報道のために処分された者は皆無)、河野さんを苦しめていました。単独でのたたかいを続けた河野さんに比べて、その卑小さは明らかです。「個人」とは、たとえ孤立しようとも、悪とのたたかいを貫き通す強さをもつだけではなく、自らの敵をも赦す寛容さをもつ存在であるという事実を河野さんは示してくれています。」(87頁)

 

「「うらみ・つらみ・ねたみ・そねみ」の問題を、「ルサンチマン」(ressentiment)ということばによって最初に哲学の俎上にのせた、かのニーチェは、「畜群」ということばを使っています。向上への意欲を失い、罪の意識に囚われ、大人しく調教された家畜のような人たちは、自由闊達に生きる人たちにルサンチマン(うらみ・つらみ・ねたみ・そねみ)を抱くようになる、とニーチェはいいます。」(87-88頁)

 

第二次世界大戦の敗戦は表面的には革命的な変化を日本社会に及ぼしました。しかし、戦後経済が戦時統制の延長線上に発展していったことは、すでにみたとおりです。政治体制の面では個人に基礎を置く民主主義が日本国憲法によってもたらされても、日本人の意識が急速に変化することはありませんでした。」(88頁)