「弱った人を救わない共同体としてのシステム」(上田紀行)

愛する意味 (光文社新書)

上田紀行『愛する意味』光文社新書、2019年より。

※強調は引用者 

 

スリランカの――引用者)「悪魔祓い」のよいところは、その共同体の子どもたちが、小さいときから悪魔祓いを通じて、弱った人が再生していくようすを見ながら育っていくことです。そこで、もし自分がこの先とてもきびしい立場に立たされたとしても、きっと周りの人が集まって悪魔祓いをしてくれる。そして再び立ち直れるのだ、ということを信じることができます。

 その実感によって子どもは悲観せず、楽観的に生きていくことができるのです。

 今の日本社会ではどうでしょうか。誰かが心を病んでしまっても、子どもたちはその人が回復するところを見て育っていないのです。

 そのかわりに、社会から切り離されて孤立したみじめな姿だったり、あげくには、「誰でもいいから殺したかった」と言って、車で突入したり、駅で刃物を振り回したりしてしまう。子どもたちはそういう姿をニュース映像として目に焼き付けてしまいます。

  そこから学んでいるのは、どんなメッセージなのでしょうか。

 「一度失敗したら誰も助けてくれない」「人間は追い詰められると誰でもいいから殺したくなるものなんだ」という記憶を植え付けながら成長しているとしたら、どれだけの生きづらさを子どもたちに与え続けているのかということです。(pp.167-168)

 

 弱った人を救わない共同体の秩序は、すでに硬直して単なるシステムになってしまっています。愛というのは本来、そのようにすでに死に体になってしまった秩序を上書きして、命の通ったものにしていく作用も持っています。

 我々が、今の社会の持つ不寛容で非人間的なシステムに気づき、「こんな社会は嫌なんだ」とより人間的なものに上書きしていく力を発揮していければいいのですが、今はその力を信じている人が少ないというのも、生きにくい社会になっている原因かもしれません。(p.169)