江藤淳『アメリカと私』(文春文庫、1991年)書評

sunchan20042005-02-24

(注:これは渡米直前に書かれた書評です。)

アメリカと私 (文春文庫)

アメリカと私 (文春文庫)

江藤淳が初めて渡米したのは1962年、29歳の時である。今の自分と同じ年齢で、そして今自分は3週間後に渡米しようとしている。この「アメリカと私」の連載が『朝日ジャーナル』で始まったのが1963年。時代が全く異なるとはいえ、そこで江藤淳が感じたことは、今の自分に十分大きな影響を及ぼし、かつ一つの心構えを準備させた。


小田実の「何でもみてやろう」的な「おりた観察者」でも、注目を浴びてばかりいる「のぼる演技者」でもなく、ごく自然にアメリカ社会に溶け込んでいく江藤の姿がそこにある。もちろんそこに至るまでにはある程度の紆余曲折が存在した。しかし、その溶け込み方があまりに自然でありすぎて、アメリカ人とのある何気ない会話の際に、彼は一瞬ギクリとした。

用事が済んで帰ろうとすると、事務長は米国人独特の社交的な笑顔を浮べて、「ミスター江藤、あなたのお国はカリフォルニアですか」と尋ねた。「いや、日本ですよ、東京です」となに気なしに答えて、私は次の瞬間にギクリとし、この時ばかりは自分が米国にいることを痛感した。そしてこれは恐ろしい国だと骨身にしみて思い知らされたのである。私がいうのは、もちろんこの国に潜在する巨大な同化力のことである。(180頁)

言うまでもなくアメリカとは移民で成り立っている国である。それはアメリカが全世界からの移民をひきつけるほどの魅力をもっていたからだ。

その移民国アメリカにもし人が魅力を感じず、来た人が祖国に帰ってしまうなら、アメリカは成立し得ない。それゆえ、アメリカはあらゆる領域で世界一を目指さざるを得ない。そうすることによってアメリカは人を帰さない国となるのである。アメリカの世界史的な意味を一言でいえば、人間は生れた国で生き死ぬのではなく、別の国での人生もあるのだと、世界に伝えたことである。そして、確かにアメリカは、それに応える魅力を持つ国になっていた。(313頁、石川好の解説)

英語や星条旗というアメリカのシンボル――そしてその背後にあるアングロ・サクソン的文化――に対して忠誠を示すことを、アメリカという国は要求する。それは一時的な滞在者であっても変わらない。アメリカとは、「一度足を踏み入れたものは、アメリカ人にしてしまう巨大な力が働いている国なのである。」(312頁、石川)


外面上はますますアメリカへ同化していく自分に気づいてはっとしながらも、江藤は、対照的に内面でますます膨らむ「日本」にも意識的だった。ただし、この内面の「日本」というのは、アメリカでの苦しい経験や認識のために自国の環境の快適さを改めて感じるといったような単純なものではなく、アメリカの同化力に驚きながら、同時に戦後日本に潜む巨大な頽廃を認識するのである。ここに文芸批評家・江藤淳の思想の一端がある。すなわち、戦前と変わらぬ戦後日本の頽廃に傷つき、そこから「真のあるべき日本とは」「変わらぬ日本とは」という問いかけが始まるのである。保守論客としての江藤淳が生まれる。

何ものにも変身しないで耐えている天皇と、人に変身を強要するアメリカへの同化を拒否し、日本に帰ってきた江藤氏が、結ばれるのは必然であった。日本の中に天皇を発見したのではなく江藤氏は天皇を淋しい日本と自己の中に発見したのだった。江藤氏の天皇観が、「アメリカ史のゲーム」から日本人を解放する「解放の神学」の教典に思えるといったのは、この意味においてである。(315頁、石川、原文傍点)

江藤が抱いたのは、甘っちょろい日本への郷愁ではなく、日本の歴史と文化遺産の一切を引き受ける覚悟であった。

私は、まず、自分が自分であってそれ以外の何者でもないことを、自分を育てた日本の歴史と文化遺産の一切とともに、引受ける必要があった。それは引受けるに値するものであった。「戦後」という人工的な区分によって呼ばれる時代の流行のものさしにてらして、日本の過去のプラスとされているものをポケットに入れ、マイナスとされているものを人目につかぬように捨てる、というようなわけには問屋が卸さぬことを、知らねばならなかった。(48頁)

こうした覚悟を決めるには、異国での深い苦悩とそこから生まれる冷静な自省の眼が必要とされる。江藤の政治的な立場に同意するかどうかに関係なく、異国の地に身を置いた者がこうした覚悟を持てるかどうかは決定的である。時代が違うとはいえ、気軽で楽しい異国での生活が一般的になった現在では、このことはなおさら決定的である。少なくとも自分は、アメリカで悩み考え、内面で傷つき血を流し、そこから自分と日本を自省するための揺るがない足場を見つけたいと思う。具体的にはそれは、感情に流されることなしに、個人と国家の関係についてとことん考えてみることである。