後藤健生『サッカーの世紀』書評

サッカーの世紀 (文春文庫)

サッカーの世紀 (文春文庫)

 マラドーナが怒らせたのはイングランド人だけではなかった。言うまでもなく、イングランド人を怒らせたのは「神の手ゴール」である。しかし、この天才は、都市国家間の戦争の歴史を持つイタリアにおいても憎しみを一身に浴びたのであった。

 政治的・経済的な要因も絡んで、イタリアのサッカーは南と北の対立が激しい。そしてこれまで圧倒的な強さでイタリア・リーグ優勝をほぼ独占してきたのは北部のチームであった。経済的に豊かな北部が貧しい南部の勝利をほぼ完全に阻止してきた。しかし、アルゼンチンが生んだ天才傭兵隊長、ディエゴ・アルマンドマラドーナが南部を代表するナポリのチームに加わった時、歴史は塗り替えられた。1986/87年と1989/90年の二回、SSCナポリがイタリア・サッカーリーグ一部(セリエA)のタイトルを獲得した。(106頁)「千年かかっても南部イタリアが成し遂げられなかったこと、つまり南部が豊かな北イタリアを征服することを、傭兵隊長マラドーナがやってのけたのである。」(107頁)しかしこの結果、マラドーナは北部のイタリア人に、そして1990年地元開催のイタリアW杯で、PKの末にアルゼンチンがイタリアを破ったことで全イタリア人を敵に回してしまった。

 これは本書を読んで初めて知ったエピソードの一つである。その他にも興味を抱かせるようなエピソードが盛りだくさんであった。サッカーの起源とその国家との関わりの歴史について語られている箇所も、自分には初耳のことばかりであった。

 サッカー発祥の地はイングランドである。18世紀後半に産業革命を迎えたイングランドでは、それに伴う社会の近代化によって効率主義的・合理的な発想が強く求められるようになる。そうした社会の変化はサッカーにも影響を与えずにはいなかった。中世イングランドで行われていたサッカーの原型は、野蛮で粗野な「モッブ・フットボール」であった。しかし、社会の近代化に伴って統一ルールの確立が図られ、これが近代スポーツとしての「アソシエーション式フットボール(Soccer)」を生み出した。

 サッカーそのものが近代化されると、それは「ジェントルマンや企業家の子弟に資本主義的な思考を教育するための重要、かつ効率的な道具となった。」(43頁)効率や結果を重視する近代工業社会において、社会に適合した価値を教育するための一手段としてサッカーが利用されたということである。

 次にサッカーと国民意識の形成、サッカーと全体主義体制の関係について著者が述べている箇所を抜書きしてみる。その上で、自分が疑問に思う箇所を指摘しかつコメントを付したいと思う。

①「これからの時代には国民意識を形成する上で、サッカーが、かつての言語や宗教のような役割を担う可能性を持っている。もちろん、言語や宗教は、今でも大きな力がある。民族の自立運動、独立運動の中では、言語問題は大きなテーマだ。(略)だが、言語的にアイデンティティーが見つからない場合、たとえば、もしその地に他国とは違った独自の言語がない場合、あるいはその地域では一つの言葉ではなく、数多くの部族語が話されている場合には、国民意識の形成のための手段として言語は使えない。あるいは、人々が不信心になって、宗教がもはや人々の心を動かすことができない場合もそうだ。そんな時、サッカーの代表チームの活躍が国民意識形成の大きな力になりうるのだ。」(131頁)

②「サッカー選手に要求されるこのような資質(=最も適切なプレーを選択する個々の選手の判断力)は、全体主義体制における教育の概念とは完全に対立する。全体主義社会では、自主的な判断などという大それたことは真っ向から否定されているからだ。政府の指示、党の指示、偉大な指導者の指示、それを疑いもなく、オウム返しに実行することが求められこそすれ、自分の頭で判断することは、何よりも否定されるべきことなのだ。」(212〜213頁)

③「『全体主義はサッカーに向かない』という結論は、皮肉にも東欧諸国のうちいくつかが、ちょうど国内で自由化運動が起こっていた、あるいは起ころうとしていた時期にワールドカップで活躍したという事実によって、逆説的に証明される。」(214頁)

④「そもそも、サッカーというこのスポーツは議会制民主主義、自由経済を信奉する十九世紀半ばのイングランドで作られ、西ヨーロッパ諸国の間で盛んになってきた競技であり、そのような西欧的な価値観を持つ人間のために作られたスポーツなのだ。」(223頁)

⑤「どんな時でも守備側にボール奪取のチャンスがあるようにして攻守のバランスをとることにより、サッカーとホッケーは、選手の動きをルールで縛ることなく、自由で、発散的なスポーツになったのだ。」(258頁)

 ①について。これは眉唾物と言うべきだろう。言語や宗教が人々を結びつける力はサッカーの比ではない。言語や宗教を命を賭して守ろうとする人間はいても、サッカーという価値を守るために死を厭わないものは恐らくいないだろう。もちろん言語や宗教は国民国家という枠組みに収まり切らないために問題となっているのであり、国民意識形成という目的のためには返って火に油を注ぐことになりかねない。そのような状況下では、国民意識形成のために使えるのはせいぜいサッカーぐらいしかないというのが本音ではないのだろうか。むしろここでは国民国家の存在そのものが是非を問われているのであり、その枠組みを守ろうとする側にとっては、サッカーだろうがなんだろうが利用できればそれで構わないのである。サッカーが国民意識形成の「大きな」力になるとは到底思えない。

 ②〜⑤について。サッカーが、他の競技に比べて自由で発散的なスポーツであるという点に関しては自分もそうだと思う。試合の流れを止めることも原則的に不可能であるし、一瞬一瞬における個々の選手の判断が最終的には結果を左右するという点でも、サッカーは極めて個を重視するスポーツであると思う。

 しかし、「全体主義はサッカーに向かない」という結論はどうだろうか。まず著者の見方は全体主義共産主義と同一視している点で偏っており、全体主義の定義が曖昧または不正確である。ここで例示されているのはソ連と東欧諸国であるが、ソ連の戦術的な稚拙さと体制の性格を安易に結びつけるのも問題があると思うし、「東欧の国がワールドカップで活躍したのは、いずれも民主化の時代であり、その後にくる抑圧の時代にはサッカーの実力は低下してしまうのである」(219頁)という箇所からも分かる通り、著者の結論付け方は極めて単線的で、東欧諸国内の複雑な事情をほとんど無視したものとなっている。例えばポーランドは東欧諸国の中で歴史的に最も反ソ連(ロシア)感情の強い国であるが、そのような国がたとえ著者の言う「抑圧の時代」にあったとしても、「全体主義の教育に反する自主的な判断」というものを本当に持ち得なかったのか、大いに疑問がある。

 要するに、著者の主張は、詳細な事例研究による反証をあっさりと許してしまうようなものであるように思うのだ。例えば、南米諸国はどうなのか。南米のサッカー大国、ブラジルとアルゼンチンは、著者の目からすれば共産主義諸国のような「抑圧の時代」は存在していなかったように思われるかも知れないが、これらの国は60年代から70年代にかけて相次いで軍事政権へと移行している。その他にもチリ、ウルグアイ、ペルーにおいても同時期に軍事政権(軍部官僚型権威主義体制)が成立し、国家安全保障と経済発展という至上命令のために国民の人権は大きな制限を受けている。(乗浩子「戦後ラテンアメリカの国際関係」蝋山道雄編『激動期の国際政治を読み解く本』学陽書房、1992年、205頁)

 W杯との関連で言えば、軍事政権下においても、南米諸国はW杯で活躍を続けている。例えば、アルゼンチンでは1976年に軍部によるクーデターによって軍事政権が成立したが、いまだ軍事政権下にある2年後の地元開催のW杯ではアルゼンチンは見事優勝している。当時アルゼンチンは激しいインフレと政情不安でW杯開催が危ぶまれ、左翼ゲリラによるテロの危険性もあったが、そのような中での優勝であった。(原田公樹編『ワールドカップ全記録 2002年版』講談社文庫、2002年、122頁)

 また「開発独裁のモデルとされた」(乗前掲稿、218頁)ブラジルでは、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、ウルグアイに次いで85年に民政移管を遂げ、90年にチリのピノチェト軍事政権が退陣するに及んで、南米の軍事的権威主義体制は終わりを告げた。しかし86年のW杯メキシコ大会では、ブラジルはトーナメント2回戦でフランスに敗退、90年のイタリア大会でさえも、トーナメント初戦でアルゼンチンに敗れている。

 もちろん自分はただ単に著者の主張を反証したいのではない。自分が言いたいのは、W杯における勝敗は、体制の性格だけではなく、その他の種々の要因が絡み合って決められるのは当然のことであり、一部の表面的な事例のみで「全体主義はサッカーに向かない」という結論を導き出すのは非論理的であるばかりでなく、サッカーに強くなりたい国への誤った先入観に転じかねない。

 もちろんサッカーは自由な性格のスポーツであるし、参加国それぞれの政情や経済情勢も大きく影響を及ぼすことは否定できないだろう。だが、サッカーと全体主義の関わりという大それたテーマに対して結論を出すには、東欧革命の事例による著者の論理展開はまだ不十分であるように感じた。

【注】
 後藤は「国民国家という擬制」について言及しており、それについての自分のコメントは中西治『新国際関係論』(南窓社、1999年)の書評に補遺として付け加えてある。

【補遺】
 後日、毎日新聞の夕刊(2002年6月24日付)で橋爪大三郎が興味深いことを言っている記事に遭遇した。「W杯とナショナリズムの関係」についてである。以下橋爪発言の抜粋。

W杯ではどの国も出場した以上、自分の国に誇りを持ち全力を尽くすのは当たり前だ。そこにはきちんとルールがある。すなわちW杯には、参加各国がナショナルに振る舞っていいというコンテクスト(文脈)がある。その文脈の中では『過去の歴史』といったものが相対化され、日本のナショナリズムも韓国のナショナリズム普通の国の普通のナショナリズムになった。お互いの国のナショナリズムの盛り上がりを安心して見ている、という非情に珍しい光景が生じた。

お祭りには内容がない。そして終わる。終わった後も『同じ日本人だ』という感覚が続いていればナショナリズムだ。私は元に戻ると思う。ナショナリズムの再構築は必要だとみんなが思っているから、“ワールドカップ・ハイ”ともいえる高揚感を生んだのだろう。しかし、ナショナリズムの再構築は、歴史を見直したり、経済を立て直したり、個々人が新しい働き方を見つけたりといった、ねばり強い、地道な努力の先にあるものだ。W杯ごときで新しいナショナリズムが生まれるわけがないと思う。

 この記事を読みながら、やはり後藤が言うような「サッカーが国民意識形成の大きな力になりうる」という見方は、極めて浅薄であるように感じた。サッカーが全世界の人々を熱狂させていることは事実だが、それはナショナリズムがそうさせているという側面ではあっても、サッカーがナショナリズムを生み出しているわけではない、ということだろうと思う。全世界がここまで熱狂できるのも、言ってみれば、ナショナリズムの負の要素を全て削ぎ落とした形で、つまり橋爪の言う「ナショナルに振る舞っていいというコンテクスト」の中で自国代表チームを応援する、というルールが確立しているからである。

 サッカー熱が高まっている状況下でも、サッカーの力を過信しない橋爪の冷静な視点の方がより説得力がある。