丸楠恭一・坂田顕一・山下利恵子『若者たちの≪政治革命≫』書評

若者たちの“政治革命”―組織からネットワークへ (中公新書ラクレ)

若者たちの“政治革命”―組織からネットワークへ (中公新書ラクレ)

宮本みち子の『若者が≪社会的弱者≫に転落する』(洋泉社新書y)に匹敵する、刮目に値する現代若者論である。一般に流布している「若者は政治に無関心」という言説の根拠を数字とインタビューから得られたデータによって掘り崩し、知識社会学の知見に基づいてその言説の背後に隠れた社会的力関係を暴こうと試みた好著である。「ネットワーク」という言葉を鍵概念にして、1995年の「インターネット元年」を境にして、社会構造が「情報集権主義」から、バラバラに分散した重要な情報を電子ネットワークなどのツールを利用してつなぐことを可能にする「ネットワーク型社会」へと劇的な変化を遂げたことを説く。

本書では「若者は政治に無関心」という言説に対して、実際には若者たちは政治に関心を持っており、投票率の低さ=政治的関心の低さとは一概に言えないと反駁する。政治をネタにしたドラマやニュース番組、コミックの人気が高い点などを根拠として挙げている。また、NPOやボランティア、インターン等で実際の政治に関わりを持つ若者はますます増えている。その上で、政治に関心を持ちながらも、実践レベルでどのようにそれと関与してよいのかわからずに戸惑っている若者が多いことも指摘されている。そして政治に直接関与する場がまだまだ少ないことの結果、若者が政治について乏しい知識しか持ちえなくなってしまっているという。若者に最も影響力のあるテレビ・メディアは、「政治家=悪人」「政治=薄汚いもの」というイメージを強化してしまい、政治に対する「薄っぺらな理解」(192頁)を助長しているという側面も持っている。「情報強者」としてのマス・メディアに過度に依存することなく、ゆるやかなネットワークによって生の政治に触れることの重要性を本書が説く所以である。

しかし、本書も簡単に言及しているとおり、ネットワークには危うさも共存している。社会のネットワーク化によって、いわば「情報の民主化」が進んだことは確かである。しかしそのことが政治に及ぼす影響については、意見が分かれるところだろう。政治にとって最も重要なものとは「説明責任」であり、たとえ本書で言われているネットワーク化が「自発性」を前提にしているものであったとしても、同時に「非統制性」を特徴とするこのネットワークが「参加・離脱の自由」を大前提としていることを考えれば、説明責任の所在の曖昧化という危険性は常についてまわるだろう。「楽しそう」「面白そう」という動機からネットワークに自発的に加わってみたものの、その活動が何らかの形で社会に悪影響を及ぼしてしまった時に好き勝手に放り出されてしまっては、政治は機能しない。本書では、インタビューを受けた若者全員が自分たちの政治への関与の仕方に面白さとやりがいを見出しているので、そうした活動がなんらかの形で特定の人々に害を与えてしまった場合の責任についてどう考えているかという視点は全く書かれていない。NPOの数が激増して、個々の団体の行動の正当性や倫理性を評価することがますます困難になっている以上、こうした視点は同程度に重要であると思われる。

社会および政治のネットワーク化の原動力となっているのは間違いなく20代〜30代の≪若者≫たちである。「ゆるやかさ」を前提とするネットワークがどのようにして強固な社会的基盤を築くことができるのかは今後の興味深い観察対象となるだろう。

※以前、桐野夏生さんの記事を参考にして「ネットワーク的『共同生活』」についてのエッセイを書きました。