協働の効用

勉強にしてもスポーツにしても、その他の趣味にしても、好き嫌いの分かれ目は「協働の楽しさ」を知らないことから来るような気がする。授業中にわからない問題に遭遇すると、一人でウンウン悩んでずっと先へ進めない子がいる。なぜとなりの友達に聞かないのだろう?テストじゃないんだから、相談しながら共同でやれば楽しくなるのに。そういう意味での「私語」は必要だと思う。「この科目が嫌い」という時の根拠は、協力して一つの目標に向かうプロセスの楽しさを知らないからではないか。掃除や洗濯でも友達と一緒に会話しながらやったら楽しいだろうし、自炊だってキャンプなどで仲間たちと一緒にやったら時間も忘れるくらい楽しくなる。

アメリカの教育にも問題は多々あるけど、これまでの日本の教育に不足していてアメリカから見習うべき要素の一つは、グループによる調べ物学習のさらなる増加だと思う。複数の人間が関与することで、情報にたどりつく経路の多様化と、得られた結果に対する複眼的解釈がそこから生まれる。意外な方法や解釈を通して学習の楽しさを知ることが一番大切なのではないか。

協働がもたらす最も大きな効用は、相互の存在承認であると思う。人間は誰しも多かれ少なかれそれを求めているのだから、退屈だと思われる作業の中にその要素を盛り込めば、好き嫌いの先入観はかなり緩和されるのではないか。