小西行郎『赤ちゃんと脳科学』書評

赤ちゃんと脳科学 (集英社新書)

赤ちゃんと脳科学 (集英社新書)

この本は、自分の子供に早期教育を与えるべきか否かで悩んでいる親が読めば、得られるものが多い書であると思う。まず本書に一貫する考え方は、「赤ちゃんに限らず人間の脳についてはまだわからないことだらけで、胎教や早期教育の効果について確たる事を言える状況にまだない」ということである。そうした冷静な認識を持たずに(持てずに)、「何歳までに英語を学ばせないと間に合わない」だとか「就学前にここまで暗記させないと、他の子に差をつけられる」だとか、確たる根拠もなしに極端な行動に走る親が少なくない中、脳科学の専門家である著者が親たちに冷静さを求める本書の内容は十分傾聴に値するものである。


本書において自分が強い印象を受けたのは以下の点である。

①胎児も新生児も、外部からの刺激を単に受動的に受け取るのではなく、刺激を選別している。
②誤解を与えやすい「臨界期」説。
③胎教や早期教育の効果について、現時点ではわかっていないことがまだ多すぎる。
④あまりにも過剰な刺激を与えることは、脳の情報処理能力を円滑にする「シナプスの刈り込み」に支障を与える可能性もある。


①に関しては、ほとんどの親が持っているであろう「胎児や赤ちゃんにどのような刺激を与えるかの決定権は親が握っている」という考えに対して、大きな留保を与えるものである。

胎児といえども周囲からの刺激を無条件に受け入れているわけではなくて、母親の生理的な変化を感じながら、受け入れるかどうかを選択したり、場合によっては拒否するような反応もみせるのです。(76頁)

胎児や新生児を自然のままで観察すると、彼らが決して外からの刺激によってだけ動かされているのではなく、「自発的」に運動し、自ら外に向かって語りかけているのが見てとれます。(88〜89頁)

②の「臨界期」とは、「幼児がある機能を獲得するのに最も適切と考えられる時期」のことを指す。

しかも「臨界」という文字が、「この時期を逃すと手遅れ」「この時期までが勝負」といった、せっぱ詰まったニュアンスを含んでいます。(42〜43頁)

実際にはそのような意味で専門家たちが使っているわけではないにも関わらず、一般のレベルでは言葉の不適切さも手伝って、間違ったメッセージを親たちに送る結果になってしまった。その結果、過剰なまでに就学前の子供に学習を強いる親たちが少なからず出てきてしまった。


ちなみに、本書の中で「臨界期」説を誤解した親が、自分の子供に「r」と「l」の発音の区別ができるうちに英語教育を施そうとする話が出てくるが、「r」と「l」の区別ができないと、ネイティヴ・スピーカーとコミュニケーションが取れないとでも思っているのだろうか。全くもって馬鹿馬鹿しい(子供にとっては大迷惑な)熱意である。


③はその記述の通りだが、引用だけしておこう。

私たち大人が学習するときに使うといわれている大脳新皮質は、胎児の場合、未完成です。それ以前に、大脳新皮質だけが人間の学習に関係しているかどうかさえも現段階では不明なのです。ですから、本当に胎児に記憶力があるのか、そして胎教が有効なのかを知ることはもっと先の課題です。(82頁)

現段階ではまだまだ未知の領域が多いということであり、「急いで早期教育に走ってもその結果を保証するものはない」ということでもあります。(111頁)

結論としては、著者の「教育の「方法」ばかりがとやかくいわれ、その「目的」についての議論がないことが、現代日本の決定的で最大の問題なのです」(161頁)という主張に尽きると思う。


④は本書を読んでなるほどと思わされた新しい知見。シナプスとは「神経細胞同士の結合部分のこと」(115頁)であり、脳はこのシナプスを増やしたり減らしたりしながら成長していく。減らす理由は、「不要になった段階で適当に刈り込み、回路を円滑に運営する」(118頁)ためである。


これまでは、幼児の脳はまさに「白いキャンバス」であり、外部から刺激を与えれば与えるほど、脳の発達は早まると考えられてきた。ところが最新の研究では、あまりに過剰な刺激を与えると、この「シナプスの刈り込み」のバランスが崩れてしまい、「注意欠陥多動性障害ADHD)」のような症状をきたしてしまう可能性も否定できないことが明らかになりつつあるという。この症状では、「年齢にそぐわない注意力の欠如、集中困難、多動、落ち着きのなさ、衝動性がみられる障害」(119頁)が子供に見られるという。


極端に走りがちな一般大衆に対して、脳科学の成果と限界の両方に基づいて冷静さを求める本書の内容には、首肯できる点が多かった。特に著者の「愛情という言葉は、非常に便利であると同時に危険でもあります。「愛情があれば何をしてもかまわない」ということになりかねないからです」(51頁)という言葉は、間違った熱意に必要以上の精神的・経済的コストを費やしている親にぜひ聞かせてあげたい言葉である。


不満だったのは、第5章の「テレビが子供に与える影響」についての箇所である。この箇所は読む前から特に期待していたのだが、実際には「脳科学でわかっていることはまだ少ない」という著者の主張通り、確実性の高い議論はほとんどなされていなかった。他の章ではたびたび「胎児・赤ちゃんの自発性」を強調しているのに、テレビに関しては「受け取るだけの刺激」(141頁)だと言う理由もよくわからなかった。この章に関しては、他の章よりも著者の主観が多く含まれている印象を受けた。


また著者はこうも言っている。

出生直後から過度に言葉を強制したり、長時間テレビを見せ続けたりする親の話を聞くと、「ではいったい、赤ちゃんはいつ自分の好奇心のままに外界へ働きかけるのだろうか。親の要望に応じて好奇心を調節してしまうのではないか」と疑問に思うのです。それでは親と子のコミュニケーションは生じないのです。そして、そんな状態が続く家庭も少なくありません。このことを私は非常に危険だと感じています。(146頁)

しかし現実はそう単純ではないのではないか。テレビで見たアニメを元に自分で絵を描いてみせたり、そのアニメの内容を正確に話してみせて、親と大いにコミュニケーションを取っている子供も実際に知っている。「テレビ=受け取るだけの刺激」と本当に言い切れるのだろうか。この疑問については、本書を読んでも答えは得られなかった。


しかし全般的には「専門家の誠実な抑制」が見受けられ、好感を持てる書である。子供が思い通りにならないことにカッカしている親は、この本を読んで少し頭を冷やすべきである。