ホルブルックの死
ボスニア紛争でデイトン合意に至る道筋を作って紛争を終わらせ、のちに国連大使も務め、オバマ政権ではアフガニスタン・パキスタン担当特使として最前線にいた大物外交官のリチャード・ホルブルックが、なんと自分がワシントンDCに着いた13日に急死しました。
10日にヒラリー・クリントン国務長官と会談中に倒れ、病院に運ばれましたが、13日に心臓の大動脈解離で亡くなりました。まだ69歳の若さでした。本当に偶然です。これからインタビューする予定の国務省のアフガン問題担当の方にとっては、かつての上司でもあったらしく、彼の死がアメリカの対アフガン政策にどういう影響をもたらすのかが懸念されています。
こちらで昨日ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズを買って見てみると、彼に対する追悼記事が至るところに見られ、テレビのニュースでも繰り返し放送されています。15日のニューヨーク・タイムズの記事では、「彼のために作られ、彼がゼロから築いてきたこのポストで、彼の代わりをつとめられる人は簡単には見つからないだろう」と書かれています。
ボスニア紛争でミロシェビッチ大統領と会談した際、「和平交渉に応じなければ空爆する」と脅して「ブルドーザー」の異名を取りました。誰よりも外交官の官僚的・事なかれ主義的な態度を嫌い、交渉相手をどんどん追いつめていく彼の姿勢は、多くの敵を内にも外にも作ってきたようです。
でも、ボスニア問題やアフガン問題のようなまともな解決策があるとは思えないような難題に立ち向かえるのは、彼のような外交官しかいないというのも厳然たる事実でした。
まさか滞在中にこんなことが起こるとは思ってもいませんでした。