論証と誤謬

論証と論理

論証と論理

「論証と誤謬」について引用(88〜86頁より)

a. 合成の誤謬

個々の場合について言われたことを、全体について拡大することによって生じる誤謬である。全体の構成要素たる個をそのまま全体とみなすことには、論理上の飛躍がある。

例)
この町に来る日本人観光客はお土産をいっぱい買って帰る。だから日本人はみんな金持だ。


b. 分離の誤謬

合成の誤謬とは反対に、要素の集合としての全体について言われたことを、その構成要素たる個について当てはめることによって生じる誤謬である。

例)
日本は平和で民主主義の国だ。だからあの日本人もきっと平和的で民主主義的な考え方をする人に違いない。

例)
光の色は透明だから色を分解しても透明のはずだ。


c. 論点変更の誤謬

意図的であるにせよないにせよ、論点がずれてしまう誤謬である。話が脇道に入ってしまったり、はぐらかしたり焦点が定まらなくなってしまう。議論の場合にはお互いにちぐはぐなやり取りに終始し、相手の避難や自己弁護に走ることになる。本来論点が定まっていなければ、論証は成り立たない。

例)
「スピードの出しすぎは危険です。」「みんなやってるではないですか。」

例)
彼の言ってることは信用できない。なぜなら、だらしがない生活をしているから。


d. 先決問題要求の誤謬

あらかじめ証明しておかなければならないことを、あたかも証明済みのことであるかのようにして結論を導く前提として導入し、それに基づいて議論を導く誤り。

例)
そんなことをするなんて不親切だ。なぜなら、それは親切な行為ではないから。

例)
反社会的な商活動はとうてい認められるものではない。というのも、そうした商活動は社会のあり方に反するものだからである。


e. 循環論証の誤謬

いわゆる堂々めぐりの論証。前提をもって結論を証明し、こんどはその結論をもって前提を証明するやり方である。長い論証になると気が付かないうちに循環論証に陥っていることがあるので注意しなければならない。

例)
論理学を勉強しているものは理屈ばかりをこね回す人間になる。彼らは、何をするにもまず理屈を考え自分が納得しないうちはてこでも動かない。どうしてそんなふうになってしまうかというと、論理学を勉強しているからだ。


f. 不当理由の誤謬

理由や根拠として立てられているものが理由にも根拠にもならず、そこから結論を必然的な形では導くことができないにもかかわらず結論を引き出そうとする誤り。

例)
温暖化が進みしばしば異常気象による自然災害が起きる。この前の地震もそうした異常気象の証拠となっている。


g. 帰結の誤謬

立てられた前提からは導くことのできないような結論を引き出す誤り。

例)
情に棹させば流されるという。彼の場合はどうか。昔から何をするにも周りの影響を被りやすく、いつも自分をしっかりと保持できずに「流され」てしまうタイプだ。だから、彼はいつも「情に棹さし」ている状態だと言わざるを得ない。


h. 権威に訴える論証

正しい推論によって結論を導くのではなく、格言、伝統、慣習、名著などを引き合いにして崇敬の念を基に論証を正当化しようとする誤りである。また、人の名前を援用し、その人の地位や権威などを基にして論証する誤りである。

例)
内科学会の会長であるあの先生が、この薬の効果を認めておられます。だからこの薬は癌の予防効果があります。

例)
昔から老いては子に従えといいます。多少気に入らないことがあっても、ここはお子さんの言う通りにするのが一番です。


i. 無知に訴える論証

相手に知識がないことを利用して難解な専門的知識を並べたり、抽象的概念を駆使したり、また数式を駆使して正しい論証のように見せかける誤った論証をいう。

例)
経済学者の眼からすれば簡単なことで、景気循環の波動から見てスパイラル的な下降局面にあるだけでなく、これまでにないようなデフレ下の物価高騰であるばかりかスタグフレーションで、100年に一回の世界恐慌に突入している状態です。これを改善するには、政府の責任で総需要喚起の緊急補正予算を至急講ずる以外にありません。



問. 次の論証はいかなる誤謬を犯しているか。

1.人間は生きていく上でたんぱく質を取らなければならない。パンダの肉はたんぱく質である。だからパンダの肉を取らなければならない。

2.コーランに書いてあるのは神の言葉である。神の言葉は真理である。なにゆえに神の言葉は真理であるか。それはコーランに書いてあるからである。

3.人間は本来弱いものである。パスカルも人間を一本の葦に譬えているではないか。私も人間である。だから私も弱いものである。これくらいの間違いは人間なら仕方がないだろう。

4.個人の自由は尊重しなければならない。自分のことは自分で決定し自分で行動すべきである。他人の自由に干渉するのは控えるべきだ。だから国家が個人の経済活動に干渉すべきではない。

5.近辺のどの川を見ても大なり小なり汚染されていてきれいな川など一つもない。だから、日本中の川の水質が汚濁しているに違いない。もう日本にきれいな川など残っていない。