無関係の人が過剰にコミュニケーションに参画することの弊害

「感染症パニック」を防げ!  リスク・コミュニケーション入門 (光文社新書)

岩田健太郎『「感染症パニック」を防げ!――リスク・コミュニケーション入門』光文社新書、2014年より。

 

以下の引用箇所、全くもって岩田先生の言う通りだと思うけれど、人間の嫉妬心・ルサンチマンがどれほど強力で破壊的かを侮るべきではないと思う。それをも前提にしたうえでどういうコミュニケーションが相対的により効果的かをケース・バイ・ケースで考えるしかない。

 

 STAP細胞ができたと主張する論文は大きな話題になり、その論文の妥当性に疑いが生じたときは、多くの人たちがこのトピックを論じ、議論がなされ、怒りが表明されました。その実、そういう「騒ぐ人たち」のほとんどは細胞生物学の素養も関心もなく、普段『ネイチャー』や『サイエンス』といった専門誌を読むこともなく、STAP細胞とは直接的にも間接的にも何の利害関係もない人たちでした。

「いやいや、STAP細胞ができていれば、将来医学的にそのような恩恵を受けて……」なんていうのは、まさに「机上の空論」です。ノーベル生理学・医学賞の対象となったiPS細胞でさえ、その臨床応用がいつできるのか、どのくらいできるのかすら、不透明なところが大きいのですから。(p.33)

 

 そこには割烹着を着た若い女性科学者のサクセスストーリーとその没落を、愉快に、あるいは嫉妬心・ルサンチマンを込めて騒ぎ立てるヒステリーがありました。「こいつは殴っても誰にも文句は言われないらしいぜ」という免罪符を得た人たちが、嬉々として人をタコ殴りにするような非難集中が起きました。

 私はSTAP細胞の論文が妥当だ、と擁護しているのではありません。「妥当ではない」「間違っていた」という理由で、関係のない人が外野から、理不尽なまでに石を投げ続けた事実がヒステリックだったと言っているのです。(pp.33-34)

 

 悪い行為を罰することは妥当ですが、罰するのは法や規則であり、私人(メディアを含む)が人を罰するのは、リンチ(私刑)です。結局、この騒ぎは、ひとりの人間の死にまでつながってしまいました。リスクと無関係な人がよけいなコミュニケーションに過剰に参画して、「人の死」という新たなリスクが生じてしまったのです。(p.34)