「井の中の蛙」は質問ができない / 医療の「タコツボ」時代の終わり

「感染症パニック」を防げ!  リスク・コミュニケーション入門 (光文社新書)

岩田健太郎『「感染症パニック」を防げ!――リスク・コミュニケーション入門』光文社新書、2014年より。

 

 質問をする能力というのは、「私には分かりません」と認識する能力のことを言います。私にはここが分かっていない、理解できていない、という自覚があるから、そこを質問するのです。質問とは、「私には分からないことの自覚」に他ならないのです。

 逆に言うと、「質問する能力」が低い人というのは、「私にはここが分かっていない」というところが分かっていない人なのです。これはギリシャの哲学者ソクラテスのいう「無知の知」が欠如していることを意味しています。

 「私にはここが分かっていない」ことが分かっていないということは、その人は自分の持っている知識体系「だけ」で勝負していることを意味しています。自分の知っている世界が世界のすべてなのです。その世界の外にどのような世界が広がっているのか、まったく分からないし関心もない。要するに「井の中の蛙」ということです。(p.122)

 

 医者は長いこと、大学医局制の縦割りのもとで、自分たちの診療の外にある世界についてまったく無自覚、無関心でした。心臓なら心臓、腎臓なら腎臓という、臓器の専門性だけをタコツボの中で維持していればそれでよかったのです。また、タコツボの外の人たちは、タコツボの中の診療に口出しすることはまかり通らないような仕組みになっていました。だから、医局の中の人はやりたい放題できましたし、その質が低くても、誰も問題にしなかったのです。(p.123)

 

 しかし近年、医学の専門性が飛躍的に高まり、「タコツボの中」の知的体系だけでは医療を遂行することはできなくなりました。

 例えば、感染症です。いくら心臓に詳しくても、いくら腎臓に詳しくても、心臓の病気、腎臓の病気を持っている患者も感染症になります。例えば肺炎になったりするわけですが、「タコツボ」の時代であれば、その肺炎の診療や治療は「やっつけ仕事」でできたのです。適当に、出入りの製薬メーカーが薦める抗生物質を使って、お茶を濁すことが可能でした。

 しかし、患者の意識も高まり、医療情報が開示されるようになると、閉じた空間で好き勝手やる時代は終わりました。タコツボの世界で医療をやっていく時代は終わり、「感染症のことは感染症のプロに相談して」という「チーム医療」が芽生えました。チーム医療は、医学的知識が飛躍的に増加し、患者の意識が高まり、情報公開が進む現代において、必然的な産物だったのです。(pp.123-124)