科学の仕事は説明することで、予言することではない(トム・ニコルズ)

専門知は、もういらないのか

トム・ニコルズ『専門知は、もういらないのか』(高里ひろ訳)みすず書房、2019年より。

 

テレビのニュース番組では、連日コロナウイルスの感染拡大がとりあげられている。そしてそこに出演している感染症の専門家たちが、毎日毎日くりかえし「今後どうなっていくのでしょうか」「いつごろ収束するのでしょうか」といった質問を浴びせられているのを目にする。

 

そんなことは誰にもわかるはずがない。しかし、「一般の人々は予言がはずれると専門知が役立たずだという証拠だと見なす」(p.213)「そして専門家も、よくないとわかっているのに進んで要求に応えたりする」(p.214)

 

以下、該当箇所の引用。

 

また別種の間違いは、専門家が自分の専門の範囲にとどまってはいるが、説明ではなく予言をしようとするときに起きる。予言に重きを置くのは科学の基本ルールを破ることだが――科学の仕事は説明することで、予言することではない――クライアントとしての社会は、説明よりも予言を求めることが多い。もっとひどいことに、一般の人々は予言がはずれると専門知が役立たずだという証拠だと見なす。(p.213)

 

この点において専門家は難しい仕事に直面する。学者が何度、自分の仕事は世界を説明することであり、個別の事象を予言することではないとくり返しても、一般の人々や政策立案者は予言を聞きたがる(そして専門家も、よくないとわかっているのに進んで要求に応えたりする)。これは専門家とそのクライアント間にもともと存在する解決できない葛藤だ。たいていの人は、問題をふり返って説明するより、予測して避けたいと願う。たとえ憶測だとしても、診断があたっている見込みのほうが、検死の絶対的確実さよりも歓迎される。(pp.213-214)