「書物との情動的・身体的な関係」

今福龍太(東京外国語大学教授)「山口昌男の歩み 真摯で快楽的な学びへの窓」

朝日新聞(2013年3月24日)書評欄より。

なによりもまず、山口の著作は私たちにとっての一つの刺戟的な「知の発見法」としてある。厳格に構築された気難しい「学問」を、より自由で俊敏な「知」の軽快な運動へと解放する彼の発見法のエッセンスは、『山口昌男著作集』の第一巻「知」に収録されている代表作「本の神話学」において余すところなく語られている。本は思考のためのたんなる「資料」や「文献」ではない。書物とのあいだにまず情動的・身体的な関係をうちたて、書物のなかに宿された躍動的な「生命」を受けとめ、そこから日常的な知性のはたらきを自前の感受性によって組織化してゆくことこそ重要だ。

「本の神話学」で取りあげられる精神史、亡命、政治と芸能、蒐集と物語といった主題は、すべてこの発見法的な知の実践へのじつにユニークないざないである。そこには、学問が惰性的に寄りかかる「専門」という強迫観念はない。学問制度のなかで形式的に囲い込まれただけの「専門」なる概念が、知の全面的な展開にとっていかに不自由な足かせになっているかを、それはじつに見事に暴き出してくれる。