「日本人はシャイだから」だけでは説明できない日本人の質問下手

「感染症パニック」を防げ!  リスク・コミュニケーション入門 (光文社新書)

岩田健太郎『「感染症パニック」を防げ!――リスク・コミュニケーション入門』光文社新書、2014年より。

 

 海外の方には「日本人は質問をしない」とよく言われます。それに対して、日本人はシャイだから、とよく説明されます。それもあるとは思います。講演のとき、「質問はありますか」と訊いても、だれも質問しない。で、講演終了後の懇親会のとき、「ご講演のときは質問できなかったのですが」とおずおず尋ねてくる人はけっこういますから。

 しかしながら「単に恥ずかしがっている」だけで説明してしまうのは、無理があるように思います。

 むしろ、「日本人は質問の仕方を知らないから質問しない」という方が、説明としては妥当だと私は思います。学生などを観察していると分かるのですが、彼らは質問を「恥ずかしくてしない」というより、本当に「質問そのものを思いついていない」ことも多いのです。

 では、なぜ質問を思いつかないのでしょう。

 理由は簡単です。生まれてこの方、「質問をする」という訓練を受けてこなかったからです。(pp.119-120)

 

 6歳で小学生になり、大学を卒業するまで、ほとんどの日本人は「質問に答える」訓練ばかり受けています。授業で質問され、テストで質問され、受験で質問され、入社試験で質問され。

 我々日本人は、質問に上手に、迅速に、正確に、大量に回答することについてはくり返しくり返し、イヤというほど徹底的な訓練を受けています。そして、この「質問に上手に、迅速に、正確に、大量に回答する」能力の高さは、実は受験の成功能力とほぼ同義です。つまり、「質問に答える能力」は「受験能力」でもあるのです。そして、そのような受験で成功した人たちが、医者や官僚になっていきます。

 しかし、そうした「インテリジェンスが高い」と見なされる医者や官僚たちは、これまで「質問をする」訓練をほとんど受けていません。「上手な質問をするための授業」とか「効果的な質問をするワークショップ」なんて参加した人は、ほぼ皆無なはずです。

 ですから、一見インテリジェンスが高いと考えられる医者や官僚たちの能力は、ある一側面、「質問に答える」方にのみ極端に発達している一方、「質問をする」タイプのインテリジェンスについては、ほとんどゼロ状態なのです。(pp.120-121)

 

  「いやいや、私は会合のときに必ず質問するよ」

 という人も、実際には質問をしていないことが多いです。それは、実はその質問が、

  「これってこういうことじゃないんですか」

 というレトリカルな質問なことが多いからです。

 レトリカルな質問は、一見、質問のように見えますが、実際には意見の表明に過ぎません。医学の世界の学会に参加すると、質問の大半は、「オレの意見はこうなんだけど」という意図を込めたレトリカル・クエスチョンだったりするのです。(p.121)

 

 講演のときに質問が出ない、という話をしました。で、講演後の懇親会のときにぽろぽろと個人的に質問にやってきます。これも非常に時間効率の悪いやり方です。

 なぜなら、質問をみんなの前で行なえば、その回答は参加者全員で共有できるからです。例えば、100人参加している講演会なら、みんなと質問をシェアすれば100回質問に答えたのと同じ効率が得られます。それに、他人の質疑応答を観察するのは、自分の質問力を高める道具にもなります。(pp.129-130)