男女関係に絶望する人たち

愛という名の支配 (新潮文庫)

田嶋陽子『愛という名の支配』新潮文庫、2019年より。

 

「たとえば、セクハラがそうですよ。「きみ、有能だね、仕事できるね」って握手するとしますよね。そのときに、ついでに「きみのバスト、おいしそう」って目で胸をジロジロ見たり触ったりするのと、おなじことです。そういうところが連綿としてあります。好きだって言ってくださるのは、ありがとうございます。ですけど、男の人の言いなりにならないからって横っつらをひっぱたかれるのは、ごめんです」(p.225)

 

「女の人のなかにはこういうやりとりをなんとも思わないどころか、楽しめる人もいます。また、なれ親しんだ同僚同士のあいだでは、あいさつがわりになっていて、セクハラ的なひとことがないとさみしいとさえ思う人もいると思います。なかには、仕事をとるためには、あるいは、いいポジションを得るためには、おしりの一つや二つ触らせてあげてもいい、と考える人もいるでしょう。自分で選んで利用し、責任をもってやるのなら、それもいいでしょう」(pp.225-226

 

「ただ、女の人が、男の人のそういう言動がとてもイヤで、落ちついて仕事もできなくなったりして、職場を辞めようかと思いだしたら、それはもうリッパなセクハラです。イヤだと思いだした瞬間からセクハラになるのです。主体は女性です」(p.226

 

「いまアメリカには、女と男がいい関係なんかもてるはずがないと絶望して、女だけで住もうとしている女たちとか、男だけで住もうとしている男たちがいます。日本にもそういう人たちが出てきました。でも、おおかたの人たちは、できれば男女仲よくいっしょに住みたいと思っているんですよね。それなら、男の人は、できるだけ女の人に道をあけてほしい。こんどは女の人が一人前になれるように、女の人を立ててほしい。やっと経済的に豊かになってきたんだから、世の中の流れとして女の人が子どもをもちながらでも働ける状況をつくれるような、そういう器量の大きさを早めに見せてほしい」(pp.227-228)