愛という名の支配

愛という名の支配 (新潮文庫)

田嶋陽子『愛という名の支配』新潮文庫、2019年より。

 

「私のように結婚を拒否した女は“逃亡ドレイ”です。甲板の上でハイレグをはいたり、巨乳を強調したり、はだかに近い格好をしたりして、お色気で男を支配しているかのような女の子たちは“快楽ドレイ”です。男社会から見たら、どの女もドレイであることにかわりはないのです。若い女の子は、若さだけでちやほやされているので、結婚するまで自分たちがドレイであることには気づきません。気づいたところで、結婚しなければ女は食べていけないような社会をこれまで男たちがつくり上げてきたので、女はどうしようもなかったのです」(p.62)

 

「恋愛して結婚すれば、女は愛の名のもとにただ尽くすだけですから、男社会にとってこんなに得なことはないわけです。それでも、女にすれば恋愛結婚のほうがずっとうれしいのです。少なくとも、好きな相手を選べる。おなじドレイになるなら、おなじ尽くすなら、好きな人に尽くしたい。ですから、恋愛結婚によって結婚が楽しみになったかわりに、より搾取されやすくなったという考え方も可能です」(p.66)

 

「もちろん、王侯貴族とドレイのあいだにだって愛情はあります。人間と犬とのあいだにも愛は生まれます。愛は、どこにでも、どんな状況においても生まれます。それが人間のすばらしさです。ですから、逆に言えば、愛のあるなしだけでものを考えていると、ものの実体が見えにくくなるということです。男と女のあいだが非民主的な身分関係のままでは、愛とは支配の別名になりますし、男の甘えもまた支配の別名になります。男文化が男に仕事を、女に愛をふり分けたのは、結局、この結婚という搾取システムを存続させるためです。男社会に過剰適応した女たちもまた、おなじ女に対してそれが唯一の女の生き方だとはやしたてます。これまで、それしか生きる道がなかったのですからしかたありませんが、そろそろ目をさましてもいいころです」(pp.67-68)

 

「女の人の家事労働代は、国でも試算を出しています。一九九七年、当時の経済企画庁が出した家事労働代の試算は年平均二百七十六万円(月二十三万円)です。また介護労働の値段は月二十一万円です。男社会は女にその代償を支払うシステムをつくっていません。そのかわり、「女は男に尽くすもの」という社会規範をつくって女の自己犠牲をよしとする教育をしてきました。その結果、一九八〇年に出された国連の統計では、女が全世界の労働の三分の二を担っていて、それに対して支払われている賃金はたったの一〇パーセント。そして、女の財産は、たったの一パーセントだということです。女はとても貧乏なのです。これが、女は家族のために自分を犠牲にして尽くすものだとしつけられた結果、出た数字です」(pp.68-69)

 

「男はなにかといえば、「だれが養ってやってるんだ!」と言って怒ったりどなったりしますが、女が家のなかでやっている目に見えにくい細かな労働は、ふつうの男の人の月給では支払いきれない金額になっているのです」(p.69)

 

「アーロン収容所のなかの男たちは、自由のない生活をしているうちに、みんな顔がなくなっていきます。だんだん捕虜の顔になっていく。日本の主婦を見てごらんなさい。いくらいいもの着ていたって、みんなおなじような顔をしているじゃないですか。それは自分の個性を生きられない状況に置かれているからです」(p.53)