憎まれ役を引き受けてきた女たち
「いま、専業主婦の人たちを見ていると、なんであんなに教育熱心になっちゃうのかなと不思議に思います。ただ、私なりの見方をすれば、その熱心さは母親という役割を全うするために、夢も自分の人生もあきらめてしまった人たちの抑圧の裏返しに見えます。自分を育てるかわりに、そのエネルギーを、子育てに向けるしかない人たち特有の教育熱心さではないでしょうか。自分の心のなかをしっかり見据えて人生設計をしたり、そのための自分育てをしたりするより、人を仕込んだり、人を変えることに血道を上げたりするほうがたやすいし、ラクですからね。自分育てを忘れてしまっている人ほど、相手を過剰に支配してしまっても不思議はないのです」(p.162)
「私の母も、結婚して母親になったら、自分が憎んでいた母親とおなじ役回りを引きうけることになりました。きびしくされたから母親をきらいになったのに、自分もまた、自分の母親がしたのとおなじことを娘に対してするはめになる。むしろ母親から受けた仕打ちへの恨みを自分の子に晴らしているかのように。因果はめぐる。この報復の環は、やっぱり、意識的に、知的に断ち切るべきなのです」(p.163)
「これまでの男社会では、女の人は自分がなんとかサバイブする(生き残る)ために、男社会の価値観をそっくりとりこんで内面化していくしかなかった。というか、必死で生きようとする女ほど、賢い女とか、よくできた人ねと言われるように、男のものの考え方を学んで、それを自分のものにしてきた。それが知的なことだと思わされてきたのです。女は男社会に順応し、その価値観を受け入れて、みんなその価値観の代理執行人になっていく。家庭のなかで男が黙って鷹揚にかまえていられるように、いちばんの憎まれ役を女が担うわけです」(p.164)