誰をも幸せにしない学校化社会というシステム

サヨナラ、学校化社会 (ちくま文庫)

上野千鶴子『サヨナラ、学校化社会』ちくま文庫、2008年より。

※強調・下線は引用者。

 最近の子育て相談などで、「おばあちゃんがそばにいて大変困ります。私たちのせっかくのしつけをおばあちゃんが骨抜きにしてしまって、子どもを甘やかすので」というのにたいして回答者が、「大人どうし相談して同じしつけをしましょう」というのを聞くたびに、私は「そんなバカな」と虫酸が走ります。(p.74)

 

 

 子どもというものは、自分の生存戦略を学んでいくものです。こちらが具合が悪ければ、あちらに逃げ道があると思っておばあちゃんのところへ行くのです。大人は一枚岩ではないのだ、いろいろな価値観があるのだ、親の言うことが絶対でも教師のだけが正しいのでもない、教師のもとで居心地が悪ければ、用務員のおじさんのところや養護の先生のところへ行けば別の空間があるんだと、子どもたちは自分の生存戦略をみずから見出していく生き物です。(pp.74-76)

 

 ところがそれを八方ふさがりにして、子どもの退路を断つことを、大人がよってたかってやっている。自分と違うことを言う大人が子どものまわりにいてやったほうがいいとは、大人は思わなくなってきている。いま流行りの学校と家庭と地域の「連携」などということも、私にはそのように映ります(p.76)

 

 そういう現象を、学校化社会、学校的価値の一元化と呼ぶのですが、このような価値の一元化のもとでの優勝劣敗主義が、一方で敗者の不満、他方で勝者の不安という、負け組にも勝ち組にも大きなストレスを生むのだとしたら、このシステムのなかでは勝者になろうが敗者になろうが、だれもハッピーにはなっていません

 学校化社会とは、だれも幸せにしないシステムだということになります(p.76)