激情と憎悪煽るメディア

ジェラシーが支配する国

「マスメディアにひろわれるのは、「わかりやすい」声です。(中略)自分の妻と子どもを殺された本村洋さんの「犯人を死刑に!」という訴えは、大きくメディアによって取りあげられました。しかし、すべての犯罪被害者とその家族が加害者への厳罰を望んでいるわけではありません。原田正治さんのように、自分の弟を殺した犯人を処刑しないよう、時の法務大臣に直訴した被害者家族も現に存在しています。原田さんは、死によってではなく、自分の所業を深く悔い、本当の意味で更生をとげることで罪を償ってほしいと強く念じていたのです。」(151頁)

 

「「自分の愛する者を殺した犯人を死刑に」。これはとても「わかりやすい」主張です。他方、自分の弟を殺した犯人の死刑を回避するよう、法務大臣に直訴までするという、原田さんの「自然の報復感情」をはるかに超えた言動を理解するためには、相当の知的な努力が求められます。この「わかりやすさ」という基準によって、本村さんの主張はメディアに取り上げられ、原田さんの主張は排除されたといえるでしょう。」(151頁)

 

「「犯人を死刑に!」と叫ぶ被害者遺族の姿は「絵」になります。そして加害者を糾弾する声には、凶悪犯への怒りをかきたてる力があります。他方、加害者に対する寛大な処置を求める言動は、人びとの感情を高揚させるものでも、「絵」になるものでもありません。激情と憎悪を「鎮める」タイプの言動より、「煽る」タイプのそれの方が、はるかにメディア(テレビ)受けがするのです。」(152頁)

 

「一連の犯罪被害者報道においてマスメディアは、犯罪被害者個々の苦しみや悲しみに寄り添う報道を行ってきたとは到底いえません。マスメディアの煽情的な報道は、受け手のなかに犯罪加害者への憎悪をかきたてて、厳罰化と死刑存置の方向に世論を誘導していったのです。」(152頁)

栗林忠道中将の最期(硫黄島の戦い)

「玉砕総指揮官」の絵手紙 (小学館文庫)

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昭和20年3月17日24時発 栗林兵団長訣別の電文

 戦局最後の関頭に直面せり 敵来攻以来麾下将兵の敢闘は真に鬼神を哭しむるものあり 特に想像を越えたる物量的優勢を以てする陸海空よりの攻撃に対し宛然徒手空拳を以て克く健闘を続けたるは小職自ら聊(いささ)か悦びとする所なり

 しかれども飽くなき敵の猛攻に相次で斃れ為に御期待に反し此の要地を敵手に委ぬる外なきに至りしは小職の誠に恐懼に堪へざる所にして幾重にも御詫申上ぐ 今や弾丸尽き水涸れ全員反撃し最後の敢闘を行はんとするに方(あた)り熟々(つらつら)皇恩を思ひ粉骨砕身も亦悔いず 特に本島を奪還せざる限り皇土永遠に安からざるに思ひ至り縦(たと)ひ魂魄となるも誓って皇軍の捲土重来の魁たらんことを期す 茲(ここ)に最後の関頭に立ち重ねて衷情を披瀝すると共に只管(ひたすら)皇国の必勝と安泰とを祈念しつつ永(とこし)へに御別れ申上ぐ

 尚父島、母島等に就ては同地麾下将兵如何なる敵の攻撃をも断固破摧し得るを確信するも何卒宜しく申上ぐ

 終りに左記駄作御笑覧に供す 何卒玉斧を乞ふ

   左記

 国の為重きつとめを果し得で 矢弾(やだま)尽き果て散るぞ悲しき

 仇討たで野辺には朽ちじ吾は又 七度生れて矛を執らむぞ

 醜草(しこぐさ)の島に蔓(はびこ)るその時の 皇国の行手一途に思ふ

 

栗林忠道、吉田津由子編『「玉砕総指揮官」の絵手紙』小学館文庫、2002年、pp.235-236より)

 

「畜群」対「個人」

 

ジェラシーが支配する国

「河野さんは、松本サリン事件がオウムの犯罪であることが明らかになってからも、オウムを悪し様に罵ることはありませんでした。河野さんは麻原の逮捕後も、彼を「麻原さん」と呼んでいます。自らにとっての最悪の加害者であった長野県警の警部の名も、自著においては仮名で、しかも「さん」づけで呼んでいます。「……彼にも子どもはいるし、実名を書くと『お前の父ちゃん、犯人をでっち上げようとしたのか』なんて、子どもがイジメられることにもなりかねない。それに彼自体も職務というんですか、上からの命令でやっていたわけですからね。(中略)実名が出ると、彼の家族や親戚が社会的にイヤな思いをするという可能性もあるわけです。それは避けたいな、と思ったんです」」(86頁)

 

「河野さんは、自らを苦しめたマスコミを糾弾するのではなく、人権侵害を繰り返さない報道の仕組みを作るためのシンポジウムに登壇し、発言しています。不条理な経験を強いられながら「うらみ・つらみ・ねたみ・そねみ」にこり固まるのではなく、過ちを犯した者を赦し、彼らにあやまちを犯させた社会のあり方を変えようとする姿勢が河野さんにはみられます。」(同上)

 

「警察、マスコミ、そして河野さんに種々の嫌がらせを続けた人びとは、自らは巨大な組織や「世間」という安全地帯に身をおいて(警察やマスコミ関係者で、この誤捜査・誤報道のために処分された者は皆無)、河野さんを苦しめていました。単独でのたたかいを続けた河野さんに比べて、その卑小さは明らかです。「個人」とは、たとえ孤立しようとも、悪とのたたかいを貫き通す強さをもつだけではなく、自らの敵をも赦す寛容さをもつ存在であるという事実を河野さんは示してくれています。」(87頁)

 

「「うらみ・つらみ・ねたみ・そねみ」の問題を、「ルサンチマン」(ressentiment)ということばによって最初に哲学の俎上にのせた、かのニーチェは、「畜群」ということばを使っています。向上への意欲を失い、罪の意識に囚われ、大人しく調教された家畜のような人たちは、自由闊達に生きる人たちにルサンチマン(うらみ・つらみ・ねたみ・そねみ)を抱くようになる、とニーチェはいいます。」(87-88頁)

 

第二次世界大戦の敗戦は表面的には革命的な変化を日本社会に及ぼしました。しかし、戦後経済が戦時統制の延長線上に発展していったことは、すでにみたとおりです。政治体制の面では個人に基礎を置く民主主義が日本国憲法によってもたらされても、日本人の意識が急速に変化することはありませんでした。」(88頁)

学問の下流化

学問の下流化

 竹内洋『学問の下流化』(中央公論新社、2008年)より引用。

 

「フォーク人文社会科学というのは、大衆の常識のなかにある文学や哲学、社会学のことをいう。誰でも詩人であり、誰でも哲学者であり、誰でも社会学者であるというときの哲学や社会学がフォーク人文社会科学である。」(11頁)

 

「フォーク人文社会科学とメディア人文社会科学、ジャーナリズムの複合支配の中で、学者がメディア人文社会科学に進出することでフォーク人文社会科学にすりよるうけ狙いのポピュリズム化の危険はますます大きくなっている。丸山はその兆しと危惧をはやくからつぎのように指摘していた。「芸能人」の文化人への「昇格」と、他方での文化人の芸能人化(マス・メディアへの依存性の増大)、と(『増補版 現代政治の思想と行動』)。そのような兆しと危惧が一九七〇年以後ますます拡大している。」(13頁)

 

「いまの人文社会科学系学問の危機は大衆社会のなかでの学問のポピュリズム化、つまり学問の下流化と、こうした大衆的/ジャーナリズム的正統化の時代のなかで、ういてしまう学問のオタク化である。」(13頁)

 

「人文社会科学系学問のオタク化とは専門学会内部、それも一部学会員だけの内輪消費のためだけの研究という自閉化のことをいう。かくて認識の明晰化の手段であったはずの方法や技法の洗練への志向が、知的大衆や他の学会からの侵犯を許さないための「自己防衛」や学会内部の「知の支配」の手段のようになってしまう荒廃も生じている。専門学会誌に発表される論文は、学会文法にそうことによって、手堅いだけで知的興奮を伴うものは少ない。挑戦的な問題提起型論文は学術的ではないと論文査読者から差し戻されやすい。学問の洗練という名で実のところは異端と多様性を排除する「知の官僚制化」が進んでいる。」(13-14頁)

 

「わたしの知っているある若手学者は、最近、こんなことをわたしに漏らした。学会誌などに投稿することはもうやめにして、専業文筆家(メディア人文社会科学者)になりたい、と。これを単に有名願望や金銭志向とだけとらえるべきではないだろう。学会を中心とした人文社会科学知が優秀でアンビシャスな知的青年の冒険心と興奮をとらえない事態のあらわれとしてみるべきではなかろうか。」(14頁)

 

「この危機を徹底的に認識することなくして、人文社会科学の再構築はありえない。パブリック・サイエンスとしての復活はおろか、「専門職のための学問」や「政策のための学問」の輪郭も定まらない。無用の用などと、のんきでいいきな仲間うち的な正統化をしている場合ではないはずとおもうのである。」(14頁)

「娯楽」を「生きがい」にする人たち

永井均小泉義之『なぜ人を殺してはいけないのか?』河出書房新社、1998年

「ジャーナリズムで取り上げられる事件やそれをめぐる言説は、多くの一般人にとって異次元の出来事であり、はっきり言ってすべて娯楽にすぎない。

 一方、新聞・雑誌が構成する事件空間や価値空間こそが真の世界だと信じて、その実存性を疑わずにその中で生きて行く人たちもいる。そういう世界の中で憤慨してみたり、戦闘的なそぶりを見せたりする。一種の芸なのだろう、と思うのだが、どうもそうとばかりはいえず、本気でそういう世界の中で生きてしまう人もいるらしい。むしろ一種の宗教なのかもしれない。たしかに、中にいる人はけっこう楽しそうだ。たぶん、ある種の生きがいが与えられるにちがいない。」(永井均、p.59)

「僧侶」としての教師の役割

永井均小泉義之『なぜ人を殺してはいけないのか?』河出書房新社、1998年

ニーチェ的に考えると、教師というのはニーチェの『道徳の系譜学』で言う僧侶に当たるわけですよ。ニーチェの言い方を使うと、僧侶というのは弱者の弱みに付け込んで傷口を治すふりをして毒を入れる。「治すふり」と言っても実際にも治すわけです。生き甲斐を与えるわけだし、苦しみにある種の理念を与えて生に意味を与えるわけだから、いいことをしているわけです。でもそのことによって弱者を罪人(つみびと)に仕立てあげ、その罪が許されるにはどうやったらいいかという秘密を握っているのが僧侶なんですね。僧侶はそのことによって、弱者にある超越的な理念を教えると同時に、現世で力を得るという構造になっている。教師はそういう役割を必然的に持つ。」(永井、pp.17-18)

 

「ぼくは学習塾の教師をやっていた長い経験があるんですけれども、子供によって能力の差がすごくあるんですが、「きみはバカなんだから」とか「おまえはだめなんだ」とか絶対言っちゃいけない。どう言うかというと、「努力が足りない」と言うわけです。「もうちょっと頑張れ」ということを何度も言うわけね。「やってないからできないので、もうちょっとやれば必ずできるようになる」と。でも、これははっきり嘘なんですね。本当はやってもできないんですよ。あるいは、やるということができない。だけれども、それは言ってはいけないんですね。「もう少し頑張れ」と言って、少しでも頑張らせる。そうするとその子は、自分には能力がないということには気がつかないで頑張れない人間に仕立てあげられていくわけです。そして頑張りという超越的価値を教える権力をもっているのは先生なんですね。ちょうど僧侶が弱者を罪人に仕立てあげるのと同じような形で、“努力の足りない子”というものをつくり出していく。

そういうシステムがあると思うんです。先生というのは、親とか会社の上司とか、ほかのいろいろな関係とは違う側面があると思っているわけです。」(永井、pp.18-19)

北原みのり『毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記』引用

毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記

「見知らぬ男女が出会う婚活サイトは、身も蓋もないほど「自分が商品」であることを意識させられる場だ。年齢、年収、住んでいる場所、家族構成に顔写真。プロフィールの情報が全て「条件」として交換されていく。」(p.46)

「佳苗のドライさと、その結婚観は、女にとっては、奇異に映るものではないのかもしれない。実際に婚活サイトを見ても、女性が手料理自慢をしたり、自らを癒し系とアピールしたりなど、分かりやすい女らしさを売りにし、高所得男性を求めるのが、“一般的”である。対して男は、「白馬の王子様、ここにいるよ」という50代や、「手料理、食べたい」とかいう30代フリーターが、自分より10も20も若い女性を求めるなど、現実離れした状況が横行している。まるで全ての男性がカモであるかのような気すらしてくるほどだ。」(p.87)

「男は佳苗が不美人故にこの事件に関心を持たないが、女は佳苗が不美人だからこそ、関心を持つのかもしれない。この社会に生きていれば、不美人であることの不遇を、女は痛いほど感じている。女は、男のようにブスを笑えない。自分がブスだ、と自虐はしても、他人のブスは笑わない。それは天につばするようなものだから。そんな社会で、佳苗は、軽々と“ブス”を超えたように見えるのかもしれない。容姿を自虐することなく、卑屈になることもなく、常に堂々と振る舞う佳苗。不美人を笑う男たちを嘲笑うように利用したのは、不美人の佳苗だ。そこに女は、佳苗の新しさをみる。」(p.88)

「絶対に潤うことのない欲望を抱え、キリキリした思いで、だけど身の丈と理想が追いつかないちぐはぐな佳苗。欲望を満たすために佳苗が取った「援助交際」は、ある世代にとって、この社会との“付き合い方”でもあった。だから女たちは、佳苗に、自分に、問うのだ。佳苗の罪は何だろう。私と佳苗の違いは何だろう。」(p.91)