田中伸尚他『遺族と戦後』(岩波新書)書評

sunchan20042004-11-08

遺族と戦後 (岩波新書 新赤版 (399))

遺族と戦後 (岩波新書 新赤版 (399))

前々から日本遺族会という団体には関心があった。しかしそれは漠然とした、単なる「ややこわもての」(2頁)圧力団体としての印象から来るものを越えるものではなかった。ジョン・ダワーが「戦争についての国会の無条件の謝罪を阻止する上ではたした遺族会の感情面での役割と、同様にスミソニアンの国立航空宇宙博物館の批判をよんだエノラ・ゲイ展をさまたげた米国在郷軍人会の役割は、興味深い比較ができる」(ジョン・W・ダワー「三つの歴史叙述」、エンゲルハート、リネンソール『戦争と正義―エノラ・ゲイ展論争から』朝日選書、1998年、巻末原注11頁、注11)と言っていたのを目にし、遺族会が取り組んできた草の根運動が日常レベルでの文化ナショナリズムにどのような影響を及ぼしてきたのかという点を詳しく調べる必要があると感じた。

このような認識を持ちつつ、田中伸尚の『遺族と戦後』を読んだあとの感想。「追悼」という人間に普遍的な行為に、「慰霊」という極めて宗教的な要素を盛り込み、その違いを曖昧にさせたのは、日本遺族会がもたらした結果の一つである。困窮する遺族らが救済を求めて結成した陳情団体から、戦争の記憶のあり方をめぐって極めてイデオロギッシュな主張を展開する強力な政治圧力団体への変遷。1956年、全てのA級戦犯の釈放が終了し、同年の『経済白書』では「もはや戦後ではない」と高らかに宣言された陰で、皮肉にも一つの強力な圧力団体が戦後どころか戦前の制度と思想を次々と復活させていた。そしてその「戦前的なもの」は今もまだ全国的に色濃くその陰を残している。

そのような現実を特定の思想的立場から批判するのはもうよそう。ただし、そこにある「素朴な」追悼意識が、実は素朴でも何でもなく、多くの利害や思惑によって再生産されているという現実には常に敏感であるべきだと思う。

≪補遺≫
この本を読んで初めて知ったことの一つに、各都道府県に一つずつ存在する護国神社は「靖国神社の地方分社」であり、また各市町村に存在する忠魂碑は「町のヤスクニ、村のヤスクニ」としての存在意義を持っていたということである。