天野郁夫『大学―挑戦の時代』(東京大学出版会、1999年)書評

大学―挑戦の時代 (UP選書)

大学―挑戦の時代 (UP選書)

かしこまった文体でありながら、全体的には平均的な大学論、もっと言えば無難な議論を展開しているように感じた。これといって論争的な箇所はなかった。むろん、大学改革の理念を実際の政策へと転換するためには、このような議論の仕方も必要なのかも知れないが。

「13 教養教育の課題」は面白かった。福沢諭吉は大学で学問を学ぶ者を三つのタイプに分けたという。一つは「学問を学び得て之を生涯の本職と為す者」で、福沢は「学者」と呼んだ。今でいう大学教授や研究者である。二つ目は、「専門の一科を学び得て直ちに之を人事に施し、以て自他を利する者」で「学術の事業家」と呼ばれた。今でいう「医師、弁護士、技術者等の専門的職業人、さらには官僚をめざす学生たち」(181頁)になる。この二つのタイプの学生に対する教育―専門教育―については、福沢は帝国大学をはじめとする官学に任せればよいと考えた。では福沢が創設した慶應義塾ではどのような学生を教えるのか。この三つ目のタイプが「高尚の学者たるを要せず、又専門の芸術家たるにも及ばず、唯その知識見聞を博くして物理学人事学の概略を知ること」をめざす「普通学者」(181頁)である。すなわち、福沢は有産階級の子弟たちに対する「実学」を施すことを慶應義塾の使命だと考えたのだった。ここに専門教育とは異なる、いわゆる教養教育の萌芽を見ることができる。

90年代に入ってから、カリキュラムの自由化によって大学の教養部は軒並み廃止され、専門と教養の壁が取り払われた。しかしそれは専門と教養の相互補完的な関係を築くどころか、教養教育は「社会では役に立たないもの」とされて衰退の一途を辿っている。では教養教育は本当にもう必要ないのか。

時代と共に教養の意味は変わるのだから、これまで教養だと見なされてきたものが必要とされなくなったのは時代の流れだと論じることも可能だろう。しかしそのためには、かつての教養にかわって、では何が新しい教養たりうるのかをきちんと定義しなくてはならないだろう。人文学的な教養がもてはやされた時もあれば(今でもある)、福沢諭吉のように、明治期以降に顕著になった新興の社会科学―政治経済学を新しい教養とする教養論もあった。現代における教養とは何なのか。

それは、なぜ教養教育が必要なのかという問いと関わる。教養教育とは、暇な時間を費やす趣味的な学問ではないし、「社会では役に立たないもの」でもない。それは専門の壁を超えた、橋渡し的な解釈を与える世界観である。


「大正末から昭和初年にかけての時期に、そしてまた禁圧のとかれた敗戦後の時期に、マルクス主義が学生たちの間になぜ広く浸透していったのかについて、ひとつの説明が可能になる。すなわち、マルクス主義は政治経済学であると同時に哲学であり、世界観であり、人文学と社会科学(さらには自然科学)とを架橋する、知識人や学生が切望しながら見いだしえずにきた、新しい教養の役割をはたしたとみることができるのである。」(183頁)
知識が推論を導くための不可欠の材料であるにも関わらず、今知識は行き場所を見失って雑然とした状態に置かれたままになっている。それに秩序を与えることが本来の教養教育の意味であろう。価値や哲学に対するニヒリズムを超えるための新しい教養像はまだ見えていない。