Foreign Affairs『アメリカはなぜイラク攻撃をそんなに急ぐのか?』

アメリカはなぜイラク攻撃をそんなに急ぐのか?―フォーリン・アフェアーズ・コレクション (朝日文庫)

アメリカはなぜイラク攻撃をそんなに急ぐのか?―フォーリン・アフェアーズ・コレクション (朝日文庫)

※本書評は2003年3月に書いたものですので、書評内に出てくる事実認識などは少し古いです。2年前の状況で書かれたものとしてお読み下さい。

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2003年3月20日(日本時間)、ついにイラク攻撃が始まった。世界各地で感情的な反戦運動が盛り上がっている今、なぜ武力行使に至ったのかを冷静かつ客観的に考えてみるべきだろう。いくつかのテーマごとに武力行使前までの議論をまとめる。

経済制裁・査察だけでは不十分なのか
まず最も槍玉に挙げられることの多いのが対イラク経済制裁である。オフラ・ベンジオは「経済制裁の長期化はサダムの基盤を弱体化させるどころか、むしろ強化してしまった。制裁によってイラク市民は、自分たちの生活をそれまで以上にサダムに依存するようになった」(203頁)と言う。ここで考えるべきは、本来の経済制裁の目的は何だったのかということである。言うまでもなく、大量破壊兵器(WMD)開発の阻止、そしてアメリカにとってはイラクの弱体化に伴うサダム・フセインの政権からの追放である。しかし残念ながら、経済制裁はこのどちらにも全く成功していない。成功どころか、イラクが国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)のメンバーを国外退去させて以降、イラクのWMD開発状況を確認する手立てはないし、サダム追放の可能性はますます小さくなっている。目的を達成できないにも関わらず、経済制裁によってイラク市民の生活は確実に打撃を被っているのだから、批判が収まらないのも無理はない。

次に、査察体制の強化はどうか。1998年にUNSCOMはイラクから締め出されたが、それは裏を返せば、査察がフセインの予想以上に効果的だったともとれる。もちろん、強制手段とセットでなければ査察体制は形骸化するかも知れない。査察官が追放されたり、査察が妨害されたりすれば、厳格な査察は不可能だからである。しかし、クリントンの「UNSCOMは湾岸戦争期の空爆以上に、イラクWMD開発能力を破壊した」(184頁)という発言の通り、査察はイラクのWMD解体に大きく貢献したのである。拒否や妨害によって査察が不可能になった場合の武力行使を認めつつも、査察自体をもっと強化することでイラクのWMD開発は阻止できる、と考える余地は十分あった。しかし今となっては「経済制裁なき新査察体制」の是非を確かめる術はもはやない。

イラク攻撃のタイミング
ケニース・M・ポラックは、タカ派ハト派双方の主張の正しい点と間違っている点をわかりやすく説明する。

イラクの脅威はすでに切実なものとなっており、対テロ戦争との関連からも見過ごせない」というタカ派の主張は間違っているが、「イラク核武装すれば非常に厄介な問題となるので、アメリカはそれを回避するために大胆な行動に出る必要がある」という言い分は正しい。他方、「『不朽の自由』作戦をイラクで再現するには多くの困難を伴う」というハト派の主張は正しいが、「イラク大量破壊兵器(WMD)開発プログラムへの対策としては査察と抑止で十分だ」という主張は間違っている。(46頁)

ポラックの言い分からすると、今は対テロ作戦遂行のためにイラク攻撃のタイミングは引き延ばさざるを得ないが、査察も抑止も急速に形骸化しつつある現状からすれば、そう遠くない将来に武力行使は必要となるだろう、と解釈できる。しかしながら、イラクを攻撃するタイミングについては、識者によって意見が明確に分かれる。そして今回イラクに対する武力行使が現実のものとなったということは、それはブッシュ政権内で対イラク最強硬派の主張が通ったことを意味する。つまり、対テロ戦争イラク攻撃を最終的には関連付けたことになる。

このことは、もしイラク攻撃を拙速に行えば、対テロ戦争に不可欠な多国間協調(とりわけアラブ諸国の協調)は破綻すると考えた識者たちにとっては敗北を意味する。サダムを追放しない限り、査察をめぐる駆け引きは永久に終わらず、アメリカの安全はいつまでも保障されないという確信が、ブッシュ政権内では優勢であったことが証明された。

③「ポスト・サダム」のビジョンはあるか
現時点までの状況を見る限り、アメリカに「ポスト・サダム」のビジョンがあるようには思えない。とにかくサダム・フセインを追放することが至上の課題であって、フセイン後のイラクを誰が引き継ぐのかについては、あまり現実的とは言えないプランがあるだけのように思われる。しかし、サンドラ・マッケイは、フセイン後のイラクが予想以上の混乱状態に陥ると考える。

最低限いえるのは、サダム・フセインが、この国から市民社会の要素をすべてはぎ取ってしまっているために、サダムを追放すれば、そこに残されているのは、部族主義の対立が渦巻く混乱した社会でしかないということだ。追放策を実施すれば、われわれは国家建設に関与せざるを得なくなる。単独でサダム追放策を実施すれば、ますますイラクの泥沼に引きずり込まれる。簡単でわかりやすく、予見可能なものなど、イラクには何一つないことを理解しておくべきだろう。(227頁)

以上の議論をふり返る時、今回のイラク戦争が拙速であった観はやはり拭えない。攻撃開始後、アメリカ国内では攻撃支持の割合が70%台まで上昇したと聞く。しかし、自分はバグダッドに近づくにつれて米英軍の犠牲者はもっと増えるのではないかと見ている。共和国防衛隊と大統領警護隊は恐らく決死の抵抗を見せるだろう。その時に攻撃支持の割合がどう推移するかは全く予想できない。また、サダム追放によって表面的にはアメリカの華々しい勝利となるかも知れないが、フセイン後のイラクの混乱の中で大失態を演じる恐れもないとは言えない。全てが終わった暁には米国自身が今回の戦争の総括をするだろうが、その時に冷静な分析ができるよう、戦争に至るまでどのような議論がなされていたのかをきちんと確認しておく必要があるだろう。


【補遺】
少し事実関係が古くて、今はもうすでにフセインが追放されて新たな大統領が決まるという状況であるので、本書の内容もまた違った観点から読めるかも知れません。ただ、「フセイン後のイラク」については、フォーリン・アフェアーズの2005年1・2月号にてジェームズ・ドビンズが「アメリカは出口戦略(Exit Strategy)を早く見出さなくてはならないが、そのためには中東周辺国の支持や協力が必要だ。にもかかわらず、アメリカは支持をとりつけるための戦略をなんら持たずにイラクへ侵攻した」と批判しています。(James Dobbins, Iraq: Winning the Unwinnable War)

また同じ誌上でエドワード・ルトワクが、イラク占領は、第二次大戦後の日本やドイツの占領は全く参考にならないと示唆しています。すでに暴力的イデオロギーから覚め、占領軍に極めて協力的だったかつての二国に比べて、イラクの現状はあまりに対照的な状態にある、と。(Edward N. Luttwak, Iraq: The Logic of Disengagement)

本稿でルトワクは巧みな撤退戦略(The Logic of Disengagement)を説いており、撤退には辛抱強い交渉と同じくらいのスキルが必要とされると論じています。そして米軍撤退後に行動を起こそうとしている反乱勢力を周辺国の支持によって抑え込むことの必要性を説いており、この点でドビンズと共通しています。

昨日、理論の授業で「ポール・ケネディの『大国の興亡』を読んで、そこで論じられているstrategic overextensionという概念に依拠して、現在のブッシュ政権イラク戦争がそれに当てはまるか否かを論じなさい」という課題の数枚足らずのペーパーの宿題が出たので、明日の日記でそれを掲載してみようと思います。拙い英語ですが、そのまま載せます。
(どうでもいいですが、はてなダイアリーって、英語だと改行の際、文字の途中で切れてしまうのが不便ですね。)