サミュエル・ハンチントン『文明の衝突と21世紀の日本』書評

文明の衝突と21世紀の日本 (集英社新書)

文明の衝突と21世紀の日本 (集英社新書)

数年前に読んだ『文明の衝突』の記憶はおぼろげであるが、その抜粋と他2論文を所収している本書を読めばその核心は大体つかめる。冷戦後の混沌とした世界情勢を前に、文明というものを対立軸に据える分析が世界中の耳目を引いたのは事実であった。しかし自分は何度読んでも、この「文明の衝突」という分析枠組みに賛同できない。北岡伸一は、ハンチントンの「文明圏などの整理・分析には無理が多い。西欧文明の自己規定さえ、きわめてお粗末」(1994年1月12日付読売新聞夕刊)とまで言っている。そうした定義の粗雑さのみならず、本書で展開される論理にはかなりの矛盾点が見られるように思われる。

まず感じたのは、著者の文化論の貧困さである。異文明間の関係は「通常は冷淡で、多くの場合、敵対的である」(137頁)と決め付ける論調自体、かなり単純な文化・文明論だと思うが、たとえそうであったとしても、以下のような単線的な分析を真に受ける人が果たしているのだろうか。

フランスとロシアと中国は、アメリカの覇権に対抗するという点では利害が一致しているかもしれないが、文化が大きく異なるために、有効な連帯を形成するのは困難だと思われる。(82頁)

北朝鮮と韓国が戦う可能性はあるが、それは大きくはない。中国と台湾が戦う可能性のほうが高いが、それでも台湾が中国としてのアイデンティティを捨てて独立した台湾共和国を正式に設立しようとさえしなければ、危険は少ない。(中略)二つの朝鮮と二つの中国のあいだに暴力行為が起きる可能性はあるが、同じ文化を共有している以上、時間がたつにつれその可能性は薄れるだろう。(147頁)

とりわけ後者の「台湾共和国を正式に設立しようとさえしなければ、危険は少ない」などという見解は、文明の衝突と何の関係もない。純粋に権力政治的な分析である。

ハンチントンが「文明の衝突」論を唱えた動機の一つが、巻末「解題」で中西輝政が述べているように、「文化多元主義に対抗する拠点を人々に提供する」(200頁)ことであった。ハンチントンアーサー・シュレジンジャー・ジュニアを引きながら、文化多元主義多文化主義、multiculturalism)を強く批判する。シュレジンジャー・ジュニアによると、多文化主義者は「自民族中心的な分離主義者で、西欧的犯罪以外には西欧文明の遺産にほとんど目を向けようとしない」(178頁)者たちである。ハンチントンもそれに賛同して、次のように主張する。

多文化的なアメリカはありえない。というのも、非西欧的なアメリカはアメリカではないからだ。世界帝国がありえない以上、世界が多文化からなることは避けられない。アメリカと西欧を保持していくには、西欧のアイデンティティを一新する必要がある。(182頁)

ハンチントンの論理を簡単に言うと、世界が多文化であることは変えようのない事実であるから、その多文化を構成する一要素としての西欧文化は確固たるものでなくてはならない。多文化を構成する一つの文化としての「西欧文明」自体まで多文化になってしまうならば、いまや西欧文明を代表するアメリカという国は永続できず、非西欧文明に圧倒される、ということになるだろう。そしてこの点については中西輝政も、多文化主義が「アメリカの社会を分裂と混乱に向わせ、アイデンティティの一大喪失を招くことが、洞察力のある人なら誰の目にも明らかだ」(199頁)として、完全に同意している。

しかしながら、世界の多文化性を認めながら、その多文化性から超然とした一つの文化・文明というものを築くことは本当に可能なのだろうか。例えばイスラーム文明にしても、他文明との接触・対立によって、その内部で世俗化などの様々な変化が起こっているはずである。それは必ずしも一つの確固たるものとして存在しているわけではないように思われる。また、アメリカという国は歴史的に移民が作り上げた国でもある。そのような歴史をもつ国が、世界の多文化性の必然的な結果としての「多文化主義」を、分離主義的なものとして退けることなどできるのだろうか。

確固たる西欧文明の確立を唱えながら、ハンチントンは別の箇所でこうも言っている。

文明には明確な境界もないし、正確な始まりと終わりがあるものでもない。人びとは自分のアイデンティティを定義しなおすことができるし、実際に定義しなおした結果、文明の構成とかたちは時間の経過とともに変化している。民族の文化は相互に作用し、部分的に重なりあう。文明を構成する文化がたがいにどの程度似ていて、どの程度異なるかもさまざまである。(112〜113頁)

もしこれこそが文明の本質であるなら、その時間の経過とともに起こる変化に抗って、非西欧文明とは根本的に異なる存在として西欧文明を一新することに、どれほどの意義があるのだろうか。

ハンチントンは結論の箇所でこうも言う。

世界の主要宗教(中略)によって人類がどれほど分裂しているにせよ、これらの宗教もまた重要な価値観を共有している。(中略)あらゆる文明の住民は他の文明の住民と共通してもっている価値観や制度、生活習慣を模索し、それらを拡大しようとつとめるべきなのである。(184〜185頁)

このようなことは今さら一学者に指摘されるまでもなく、良識ある人々によって長年にわたって行われてきたことである。そもそもこのような「共有する価値観の拡大」が無理ではないにせよ、極めて困難だというのが「文明の衝突」論の基本的な立場ではなかったのか。

ハンチントン理論」(!)に衝撃を受けたという中西輝政とは対照的に、ハンチントンを与太者呼ばわりした学部時代の恩師の言葉が、自分は今でも忘れられない。