阿川弘之『国を思えば腹が立つ 一自由人の日本論』書評

この本をちょうど半分くらい読んだところで、この本をどう酷評しようかといろいろ考えていたのだが、大江健三郎と活劇を演じたシーンや裕仁天皇崩御の際にテレビに出て泣いてしまったことを書いている後半部を読んで、「なかなか憎めない人柄の持ち主かも」と思い始めてしまった。

まあしかし、いくら本書が軽口でやる床屋政談だとしても、上記の箇所以外で書いていることはかなり低俗な論である。ソ連の崩壊に伴って、まるで鬼の首でも取ったかのようにムキになって左翼学者や「進歩的文化人」を糾弾する論が巷に溢れたが、その中でも本書の主張はかなり低俗な部類に属する。別に自分は「進歩的文化人」を擁護する気など毛頭ないし、戦後の論壇において著者が陰に陽に嫌がらせや屈辱を受けてきたのだろうことは推察できるが、それらへの恨み辛みが低レベルすぎる。マルクス大英博物館の図書館にばかり通って、エンゲルスの工場見学に行こうという誘いも断っていたことを引き合いに出し、「要するに、自分の理論大系を組み立てるのに都合のいいような観念でしか、ものごとを考えていないわけでしょ」(95頁)なんて軽口をたたいているけれど、おそらくこの人は『資本論』をちゃんと読んだことがないんだろうなと憶測してしまう。

唯一、参考になったというか、同意できたのは、「ユーモアについて」という章。数学者・藤原正彦の『遥かなるケンブリッジ』という本を引き合いに出して、ユーモアの定義を読者に説く。

著者の藤原さんは、それを、「自分を一旦状況の外に置くこと。対象にのめりこまずに一定の距離を置いてものを見ること。そこから出てくる大人の智恵」というふうに説明しています。真のユーモアは単なる滑稽感覚とは別のもの、人生の不条理や悲哀を鋭敏に感じとりながら、それを「よどみに浮かぶうたかた」と達観し、突き放し、笑いとばすことで、悲観主義に陥るのをしりぞけようとするもの、究極的には無常感に通じる心のあり方、したがって、英国人にとってユーモアは、苦しい状況に置かれた時もっとも真価を発揮するんだと――。(157頁)

そういうユーモアなら自分も持ってみたいものだと思う。

この著者の本を読むのは初めてだし、ひょっとしたら小説のほうは面白いのかも知れない。だが、別に読まなくても損も害もなさそうな気がした。