船津衛「『自我』の社会学」評

岩波講座 現代社会学〈2〉自我・主体・アイデンティティ

岩波講座 現代社会学〈2〉自我・主体・アイデンティティ

船津衛「『自我』の社会学」井上俊他編『岩波講座現代社会学2 自我・主体・アイデンティティ』(岩波書店、1995年)

本論稿は、「人間の自我は孤立したものではなく、常に他の人間との関係において社会的に形成されるものである」(46頁)という社会学における命題を、ミードやゴッフマンやターナーといった社会学者の業績を参照しながらわかりやすく解説したものである。社会学の予備知識がなくても読むことができ、「『自我』の社会学」がいかなるもので、いかなるゴールを目指しているのかがよくわかる論文であった。

先に引用した社会学の命題は、現代ではすでに自明のことのように感じられるが、実際には近代の弊害が現われてくるまでそれは決して自明のことではなかった。デカルトの有名な「ワレ思う、ゆえにワレ有り」という言葉に見られる「近代的自我」は、自我を孤立的なものと考えてきた。そのような「自我孤立説」に疑問を呈しているのが、著者の言う「自我の社会学」である(46頁)。

自我の社会性を論じた最も著名な社会学者はG・H・ミードであった。

ミードは自我の孤立説を否定して自我の社会説を主張した。自我の孤立説とは自我が社会に先行して存在しているとする考え方であり、デカルトの自我論がそれに該当する。しかし、それでは自我はどこから生まれるのかを説明できない。ミードによると、社会は自我に先行して存在し、自我は社会から生まれる。自我はそこにおける社会的経験と社会的活動の過程において他者とのかかわりから生み出されてくる。そう主張するのが自我の社会説である。(52頁)

自我が社会化される過程は「役割取得」(role-taking)と呼ばれ、幼児期における「意味のある他者」(significant other)から成長した人間にとっての「一般化された他者」(generalized other)に至るまで、役割取得の対象は時間・空間ともに拡大する(52〜53、55頁)。

しかし、自我の社会化は主体性の消滅を必ずしも意味しない。ミードは人間の自我を二つの側面に分け、それぞれ「主我」(I)「客我」(Me)と呼んだ。「「客我」が自我の社会性を表わし、「主我」が人間の主体性を示」しており、自我はこの二つの側面が関わり合って成立している(56頁)。この「主我」によって、人間は主体性を維持している。

人間が単に外部からの刺激に対して反応するだけの生き物ではなく、シンボルを持つ存在として描くのが「ホモ・シンボリクス(Homo Symbolicus)」(57頁)という概念である。このモデルでは、人間の主体性が強調される。

すなわち、人間は他の人間の期待や命令にただ従うだけの存在ではなく、それについて意味づけし、解釈することができる。その意味づけ・解釈にもとづいて、人間は行為を主体的に形成できる。そして、他者に対して積極的に働きかけ、他者の期待を修正し、変更し、再構成しうる存在となる。(58頁)

他者の期待を単に受け入れるだけでなく、人間は積極的に「印象操作」(impression management)をする存在であると考えたのがE・ゴフマンである(61頁)。しかし、人は単に役割を取得して他者の期待に沿うような行動を取ろうとするだけではなく、他者から期待されている役割を拒否することで自己の意思を示そうとする「役割距離」(role distance)行動も取る。さらには、R・H・ターナーが論じるとおり、他者の期待を修正・変更・再編成しようとする「役割形成」(role making)行動も取る(62〜63頁)。この「役割形成」は、期待の内容が曖昧であったり、期待される役割が複数存在しかつそれらが相互に矛盾する役割であったりする場合に生じやすくなる(64頁)。

以上本論稿の内容を読んで思ったことを挙げてみる。ミードの「自我の社会説」についての説明の中で、デカルトに典型的な「自我孤立説」では「自我はどこから生まれるのかを説明できない」とされ、「社会は自我に先行して存在し、自我は社会から生まれる。自我はそこにおける社会的経験と社会的活動の過程において他者とのかかわりから生み出されてくる」(52頁)と書かれている。では、当然予測される疑問として、「では社会はどこから生まれてくるのか」という問いにミード社会学はどう答えているのだろうか。

また、この「自我の社会学」においては、個々の人間の自我のみならず、集団の自我(collective identity)についても適用できると考えられるが、それについてはどう論じるのだろうか。例えば、国家が「役割取得」「役割距離」「役割形成」をする場合、それは個人の場合とどう違ってくるのだろうか。自分の研究関心から言えば、こちらのほうがより重要な問題であるとさえ言える。

繰り返しになるが、本論文は社会学の難解な概念をわかりやすい言葉で解説しており、国際関係論で今注目を集めているアイデンティティ論を学ぶ上でも導入部として利用できると思う。