ネットで偏る思考と人間関係

クラウド化する世界~ビジネスモデル構築の大転換

クラウド化する世界~ビジネスモデル構築の大転換

グーグル・アマゾン化する社会 (光文社新書)

グーグル・アマゾン化する社会 (光文社新書)

上記の2冊を読んだ。技術に関するカタカナの専門用語はまだよくわからないが、現代が直面している問題の大枠はわかった。インターネットは個人に力を与え、個人が情報を発信する手段を与えたかも知れないが、それ以上に組織やシステムに対して力を与えたのであり、むしろインターネットは「解放のテクノロジー」ではなく「管理のテクノロジー」だというカーの主張には納得。

利便性が劇的に向上したことは事実。ただし、その利便性と引き換えにしたものもある。クラウドを利用することの恩恵と引き換えに、システムがもたらす秩序や規則に従うことを約束させられる。

たとえ自分が監視され、あるいは支配されていることに気づいたとしても、我々は気にかけないだろう。結局、我々自身も、インターネットが可能にした個人化から利益を得ている。インターネットは我々を完璧な消費者兼労働者としたのだ。我々は、より大きな便宜のために、より大きな支配を受け入れている。クモの巣は我々にぴったりと合っていて、捕まっていても結構快適なのである。(カー、250〜251頁)

インターネットの能力、範囲および有用性の拡大がもたらした最も革命的な結果は、コンピュータが人間のように考え始めることではなく、我々がコンピュータのように考えることなのだ。リンクを重ねるたびに、我々の頭脳は「“ここ(HERE)”で見つけたもので“これを行え(DO THIS)”、その結果を受けて“あちら(THERE)”に行く」ように訓練される。その結果、我々の意識は希薄になり、鈍化していくだろう。我々が作っている人工知能が、我々自身の知能になるかもしれないのだ。(カー、275頁)

「ググった」結果出てきた上位30項目の検索結果を表面的に参照して、それのみで世の中のことがわかった気になることが、政治的・社会的・経済的にどういう影響をもたらし得るのかは議論の価値がある。

また、「ネットで民主主義は成立するか」というテーマと関わるが、森が論じている「集団分極化と沈黙の螺旋」は示唆的である。前者(=集団分極化)とは、議論して異なる立場を調整して中庸を模索するのが民主主義であるのに、議論することで逆に双方の立場が先鋭化して、溝が余計広がってしまう現象のことを言い、ネットではこれが起こりやすい。靖国問題など政治化された問題に顕著である。

後者(=沈黙の螺旋)とは旧西ドイツの社会学者エリザベス・ノエル=ノイマン1984年に唱えた説で、「自分の意見が優勢と認知した人は声高に発言し、劣勢と認知した人は孤立を恐れて沈黙する。その結果、優勢意見はより勢力を増し、劣勢意見はますます少数意見になる」(森、226頁)ことを指す。例えばミクシィのようなSNSの中の閉じられた空間の中では、意見は独りよがりで偏ったものになる傾向がある。コメントは賛成のものが多く、反対意見を持つものは「沈黙」するからである。増長して意見はますます過激なものになるかも知れない。「声のでかい人の意見が通る」というのは現実世界でもよく目にする光景だが、ネット上ではその傾向が余計強まりやすい。

森は終章で、こうした状況の中で「“主体性ある思考”は存在するか」と問いを投げかけ、ワッツの本の中に書かれているボディピアスの女の子の例を挙げている。

「(ボディピアスをした一〇代の女の子が「自分がやりたかったから」とその動機を答えた記事をもとに)彼女は間違いなく自主的選択だと主張するだろう。しかし、この自主的な決定の時間的、地理的、社会的クラスタリングはあまりにも顕著であり、それ以外の何ものでもないことを示している。むしろ、その流行は伝染病のように発生し、街や社会集団の枠を越えて、偶発的意思決定のカスケードとなって広がっていった。個々の意思決定をおこなった個人は自分の選択が強大なパターンに収まっていることに気づいていない。それでもパターンは存在している」

本人が、いかに周囲とは関係ない主体的な発想だと主張したとしても、とりわけウェブのような情報だけが流通するネットワーク空間においては、周囲との相互の影響は避けようがない。検索エンジンによる検索結果の偏りのみならず、そもそも主体性のある思考というのは育みにくいのだ。そうした情報のインタラクション(相互作用)を、つねに意識していないと、その大きなアーキテクチャーの中で自らも影響を受けていることに、無自覚になってしまう。(森、 247〜248頁)

技術はそれがもたらす政治的・社会的・倫理的懸念にも関わらず突き進んでいく。利用しているつもりが実は利用されている側面もあること、多様化して自由を手にしたつもりが、むしろ選択肢は限られてしまっている場合もあることを意識化することが必要ではないか。

(言うまでもないことですが、上記の感想は自分が印象を受けた箇所についてのみのもので、この2冊では技術革新がもたらした肯定的な影響についても幅広く論じられています。)