せまりくる退屈死の時代

仕事のくだらなさとの戦い (そもそも双書)

仕事のくだらなさとの戦い (そもそも双書)

生きる意味 (岩波新書)

生きる意味 (岩波新書)


昨日の読売新聞で、ある劇作家が知り合いのエリートサラリーマンのことをこう書いていた。

最近、定年近いエリートサラリーマン二人からこんな言葉を聞いた。Aさんは「私の人生は間違っていたかもしれない」。Bさんは「今は会社の穀潰し(ごくつぶし)をしているだけ」。二人とも誰もがうらやむ学歴、年収、家庭がある。が、今は閑職にあり、幸せそうには見えない。
定年後は趣味に生きるらしいが、それまでの数年間は“死んだフリ”らしい。高収入も手離したくないし、退職金も満額欲しい、と。経営の安定した大企業や役所には、こういう人たちがたくさんいる。

信じられないくらいの時間を拘束されて仕事している人たちがいる。佐藤和夫『仕事のくだらなさとの戦い』という本の中に、過労死したサラリーマンの話が出てくる。1日の労働時間が10〜15時間。それだけ仕事をしていれば給料が高くて当たり前である。しかし、お金がたまっても使う時間もないし、使い方について考えているひまもない。そして結末が過労死。いったい何のために働き、何のために必死で生きてきたのかまるでわからない人生だ。


前述のサラリーマンのように、とにかく定年まではがまんして、そのあとは悠々自適の生活を送ろうと考えている人もたくさんいる。でもそれは、本当に「悠々自適の老後」なのだろうか。佐藤和夫がこう書いている。

実は一見自由な気楽な生活のように見えて、そこには恐ろしいような「退屈」な人生が待ちかまえている。(略)それは働くということが会社に雇われて賃金を得ることと同一視されてきたから、男性にとって、それ以後の人生は別に生きていてもいなくてもどうでもいい無用な時間ということになる。もちろん、人生をサラリーマンとしてずっと過ごし、個人として自由に過ごす時間もまったくなかったような場合に、退職後数年を何の拘束もなくゆったりと過ごしてみたいというのはきわめてまっとうな要求だし、それはすてきなことだろう。だが、その時間が数年ではなくて、二〇年とか三〇年だとすれば、これは大変なことなのだ。会社からは用なしだと認定されて引退を求められ、しかも、自分では生きるために必死に稼ぐ必要もなくてなんとはなしに生きていけるというのはとてもすばらしいことだが、自分はもう社会からいらない存在ではないかと思って数十年過ごすのは、実は地獄のような生活だという事実をどうして大きな声で言わないのか。(佐藤和夫『仕事のくだらなさとの戦い』21〜22頁)

いくら給料がよくても、いくら退職金がよくても、いくら学歴が高くても、こういう「20〜30年」が待ち受けている人生に人は耐えられるのだろうか。そこで気づくのは「交換可能な自分」であり「交換可能な人生」であり、「せまりくる退屈死」から逃れられない自分である。


上田紀行は『生きる意味』(岩波新書)の中でこう書いている。

この交換可能ということほど、人間の尊厳を傷つけるものはない。それは自分自身の自尊心を失わせる。(30頁)

私が私として愛されているのではなく、ただ交換可能な部品として愛されているのだという感覚は、その人の尊厳を最大限に傷つけるものだ。(31頁)

程度の差はあっても、誰もが「自分は交換可能な存在だ」「別にいてもいなくてもいい存在だ」という恐怖を抱えながら生きている。でもあまりの忙しさ、あまりの現実のせわしなさのせいで、それについてじっくり考える時間もないし、それを乗り越える方策を立てる時間もない。


上田は同じ箇所でこう書いている。

交換可能の反対語は何だろう。それは「かけがえのない」ということだ。

人は、どんなに小さな世界でも自分のことを「かけがえのない存在」と認めてもらう場なしに、人生に満足することはできない。そして今の世の中で行われている仕事のほとんどが「交換可能なもの」でありすぎて、人は自分に自信が持てず、また他人を認める余裕と寛容さが持てない。

佐藤和夫の本の中で、過労死の話のあとに、内戦前のユーゴスラヴィアの生活の話が出てくる。

内戦勃発前のユーゴスラヴィアでは、実際に労働者の平均労働時間は三時間程度といわれていた。労働者の大半は、午後三時頃までには帰宅し、ゆったりと遅い昼食を食べシャワーを浴びて、その後は、のんびりと昼寝をし、夕方には街の大通りに出かけて、友人たちとおしゃべりや散歩を楽しむというのが日課だった。三時間の労働などというと、よほど貧しい生活をしているように思うだろうが、実際にはまるで違う。最新のコンピュータや自動車などは日本人より手に入れにくいことは明らかだが、日常の食品や衣料は、貧しいなどという概念とはほど遠いものだった。日本より科学技術水準のはるかに低い社会で、一日三時間程度でこれくらいのんびりとした生活ができるなら、われわれ日本人は何のために働いているのかと考え込んでしまう。(37頁)

この話からもわかる通り、「せまりくる退屈死の時代」を乗り越える手段は、豊かなコミュニケーションと、それに伴う「かけがえのなさ」の相互承認のみである。