坂口安吾『なぜ生きるんだ。』書評

なぜ生きるんだ。―自分を生きる言葉

なぜ生きるんだ。―自分を生きる言葉

堕落論』を読んで以来、ずっと坂口安吾の思想が好きで、自分がしゃべったり書いたりしていることによく安吾の影響が出ているのに時々気づいて、気恥ずかしくなったりする。


堕落論』の中の、


「生きよ堕ちよ、その正当な手順のほかに、真に人間を救い得る便利な近道がありうるだろうか。」


という言葉には、初めて読んだとき圧倒されました。


さらに彼は言う。

人間は変わりはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。(略)堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。

この一節を読んだ時、不思議と元気が出る思いでした。
でも、「堕ちる」ことはラクなことではない。

堕落自体は悪いことにきまっているが、モトデをかけずにホンモノをつかみだすことはできない。表面の綺麗ごとで真実の代償を求めることは無理であり、血を賭け、肉を賭け、真実の悲鳴を賭けねばならぬ。堕落すべき時には、まっとうに、まっさかさまに堕ちねばならぬ。道義頽廃、混乱せよ、血を流し、毒にまみれよ。まず地獄の門をくぐって天国へよじ登らねばならない。手と足の二十本の爪を血ににじませ、はぎ落として、じりじりと天国へ近づく以外に道があろうか。

人はみな堕落する。でも所詮は中途半端な堕落で、どっかで堕落に耐え切れずに、「形式」(道徳とか家族とか恋愛とか諸々)へと逃げ帰ってくる。それがほとんどの人間のやっていることです。


☆   ☆   ☆


その坂口安吾が2006年に本を出した。「故人がなぜ?」と誰でも思うだろう。
息子の坂口綱男氏が安吾の言葉を集めて本にしたのである。
その本の名も、


『なぜ生きるんだ。――自分を生きる言葉』


というもの。
言葉集なので、すぐに読み終わってしまいます。
いくつか印象的なものを挙げておきたいと思います。
なにか一つでも皆さんの心を動かす言葉があれば幸いです。


「あちらこちら命がけ」



「人を信頼できないのは、信頼できない人の方が悪いのである。」



「こんなにして、なぜ生きるんだ。
 文学とか哲学とか宗教とか、
 諸々の思想というものが、
 そこから生れて育ってきたのだ。」



「帰るということの中には、
 必ず、ふりかえる魔物がいる。
 この悔いや悲しさから逃げるためには、
 要するに、帰らなければいいのである。
 そうして、いつも、前進すればいい。」



「人生においては、詩を愛するよりも、
 現実を愛すことから始めなければならぬ。」



「エゴイズムはエゴイズムによって
 反逆され復讐されるのである。」



「ほんとうのことというものは、
 ほんとうすぎるから、
 私はきらいだ。」



「だいたい恋愛などというものは、偶然なもので、たまたま知り合ったがために恋し合うにすぎず、知らなければそれまで、又、あらゆる人間を知っての上での選択ではなく、少数の周囲の人からの選択であるから、絶対などというものとは違う。その心情の基盤はきわめて薄弱なものだ。」



「遊ぶことの好きな女は、魅力があるにきまってる。
 多情淫奔ではいささか迷惑するけれども、
 迷惑、不安、懊悩、大いに苦しめられても、
 それでも良妻よりはいい。」



「良妻というものは、知性なき存在で、
 知性あるところ、女は必ず悪妻となる。」



「健全な精神と、健全な肉体は別なものだ。そして、酒は肉体的には不健康であるけれども、精神にとって不健康だとはいえない。すくなくとも、私にとっては、そうだ。私に酒がたのしく、うまく飲めれば、私はこの上もなく健康に仕事ができるのである。」



「本当に人の心を動かすものは、
 毒に当てられた奴、罰の当った奴でなければ、
 書けないものだ。」



「思うに文学の魅力は、思想家がその思想を伝えるために物語の形式をかりてくるのでなしに、物語の形式でしかその思想を述べ得ない資質的な芸人の特技に属するものであろう。」



「一体、人々は、『空想』という文字を、『現実』に対立させて考えるのが間違いの元である。私達人間は、人生五十年として、そのうちの五年分くらいは空想に費やしているものだ。」



「日本文学は風景の美にあこがれる。
 然し、人間にとって、人間ほど美しいものがある筈はなく、人間にとっては人間が全部のものだ。」



「なんでもハイハイと習慣にしたがう人間よりも、それを拒否するツムジマガリの方に、大切な要素が含まれていることは当然ではありませんか。そのツムジマガリがなければ、社会の進歩も改良もないね。」



「男女の関係に平和はない。
 人間関係には平和は少い。
 平和をもとめるなら孤独をもとめるに限る。」