「相対主義は人間の考える願望と関心を喪失させる」(E. フロム)

自由からの逃走 新版

「事実と意見を区別しなさい」とは、学生に論文指導をしている先生の多くが一度は言うセリフかも知れない。しかし、事実を強調しすぎることが、考えることに対する人間の関心と情熱を奪ってしまうというフロムの視点が面白い。

 

エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』東京創元社、1951年より。

※強調は引用者

私はこんにち用いられている教育方法で、じっさいには独創的な思考を妨害しているいくつかのものを、簡単にあげてみよう。その一つは、事実についての知識の強調、あるいはむしろ情報の強調というべきものである。より多くの事実を知れば知るほど、真実の知識に到達するという悲しむべき迷信がひろまっている。何百というバラバラの無関係な事実が学生の頭につめこまれる。かれらの時間とエネルギーは事実をより多く学ぶためについやされ、ほとんど考える暇はない。たしかに、事実についての知識のない思考は、空虚で架空である。しかし「情報」だけでは、情報のないのと同じように、思考にとっては障害となる。(p.273)

 

独創的な思考を阻害するもう一つの方法は、これと密接に関係しているが、すべての真理を相対的なものとみなすことである。真理を形而上学的な概念と考えて、真理を発見したいなどといえば、現代の「進歩的な」思想家によってうしろむきだといわれる。真理はまったく主観的なことがら、ほとんど嗜好のことがらに近いと主張されている。科学的な探求は主観的な要素から離れなければならず、感情や関心をぬきにして世界をながめることが科学の目標である。科学者はあたかも医者が患者を取りあつかうように、消毒した手で事実を取りあつかわなければならない。経験主義、実証主義という名のもとにしばしばあらわれ、あるいは言葉の正確な使用をめざすのだといって自慢しているこの相対主義の結果は、思考がその本質的な刺激――すなわち考える人間の願望と関心――を失うことである。そのかわりに、それは「事実」を登録する機械となる。(pp.273-274)