水島宏明『ネットカフェ難民と貧困ニッポン』書評

ネットカフェ難民と貧困ニッポン (日テレノンフィクション 1) (日テレBOOKS―日テレノンフィクション)

ネットカフェ難民と貧困ニッポン (日テレノンフィクション 1) (日テレBOOKS―日テレノンフィクション)

実は10年以上も前に、小遣い稼ぎで本書の中に出てくる人材派遣会社「フルキャスト」や「エム・クルー」で日雇いの仕事を1ヶ月ほどやった経験がある。あの頃は何も知らなかったけれども、思い出せば普通に建築現場などに行かされていた。現場でやる業務によって異なるのかも知れないけど、建設業務への派遣は違法だったのだと本書で初めて知った。

人材派遣業は急激に成長し、何年か前には、最近失脚したどっかの会社の会長がゴンドラに乗って登場したりしていた。ところが本書を読んでみると、「データ装備費」だの「業務管理費」だのと呼んでいちいち没収していた200〜250円や、3〜4割の法外な中間マージンの蓄積の上にそういう豪遊や会社の急成長があったのかと思うと、ずいぶんみみっちくてせこい商売だなと呆れるしかない。富の象徴である六本木ヒルズそのものが、壮大な虚構であるかに思える。完全に回復したと言われている日本の景気も、それは若年貧困層から「広く薄く」搾取した結果として可能になった、もろい好景気だとわかる。

タイトルのとおり、本書は若年貧困層がホームレスになって行き場を失い、仕方なく深夜から早朝まで開いているネットカフェに寝泊りしている様子をルポしたものである。本書の中で紹介されているネットカフェの様子は、もうすさまじいの一言である。

著者は「ネットカフェ難民」という言葉を作った人だが、それはアフリカなどで見た本物の難民にそっくりだったからだそうである。不信・絶望・孤独をたたえたうつろな目、無表情、他人を犠牲にしても生き延びようとする殺伐とした雰囲気、強烈な体臭、どれをとってもかつて見た難民キャンプの難民と共通しているのだそうだ。

彼らと自分たちを隔てている壁は、思われているほど厚いものではない。親を早くに亡くしていたり病気だったり、あるいは小さい頃から虐待を受けて親に頼ることができない人たち、そういう人たちがネットカフェ難民になっている。「自分がまだ働けない学生の時期に、自分を支えてくれる親がいた」というただその一点だけで、彼我の差が生じているのである。とても他人事とは言えない。彼らと自分たちを隔てているのは、本当に幸運というもろい一つの壁でしかないのだ。

あるネットカフェ内の様子は以下のように描かれている。

「てめえ、静かにしやがれ!うるせえんだよ」

深夜2時頃、突然、男の怒声が響く。何が起きたのかよく分からない。その後も男の言葉が続く。誰に言っているのか不明だ。病んだ声が暗がりに響くなか、他の誰も言葉を発せず黙っている。

見渡せば、1列に10人程の人間たちがパソコンに向かっていたり、腕組みして眠っていたり、イスの上で丸くなって寝ていたり、それぞれの顔にパソコンの薄明かりが当たってほの白く見える。

左隣の長髪の男性はどうもインターネット上でオンラインゲームをしているらしい。黙々とマウスを動かしている。

暗がりの静寂のなか、足を引きずって歩く音。咳払い。カチャカチャとマウスを動かす音。そして次第にいびきの音があちこちで広がっていく。そんななかで、時折響く「おい、そこはオレの席だ!どけっ!」「お前、オレの顔を見るな!」という大きな声が静寂を破る。よくあることなのか、声の主以外の人たちは皆無言だ。

トイレに入ってみて絶句した。大便が壁に塗りつけられていた。トイレットペーパーが無造作に床に転がって長く伸び、汚れていた。足音をしのばせて自分の席に戻る途中で、他の人たちの後ろを横切った。カーテンの下りたブースの狭い仕切りのなかで眠っている若者、起きてモニターを見つめている中年男性、テレビを見ている初老の男性などの様子がちらりとうかがえた。

まるでブロイラー……。工場のように狭く仕切られた空間のなかで、ただ食べる自由だけを与えられた鶏の姿が思い浮かぶ。
(12〜13頁)

1日6千円程度の賃金で朝から晩まで働かされ、ネットカフェと1日の食費で、最低でもその3分の1はすぐ消える。悪質な業者はいろいろ口実をつけて天引きする。残るのは小銭だけで当然貯金などできない。大きな病気をしたらもう完全にアウトである。彼らは望んでこうなったのではなく、こうするしか生きる術がなかったからそうなっている。

貧困ビジネス」の一つとして位置づけられているネットカフェの業界団体は、「ネットカフェ難民」という言葉が「差別的」で、業界イメージの悪化につながっていると反発しているという。確かに客のすべてがネットカフェ難民のわけではないだろう。室内もこぎれいでおしゃれな店はたくさんある。しかし、ナイトパックというシステムや、快適ではないがそれなりに宿泊できてしまう造りなどは明らかにそういう若年貧困層をターゲットにしているものであり、彼らの足元を見たビジネスと言われても仕方ない。彼ら自身、望んでそこにいるわけではないのだから。著者は、そういったビジネスは「貧困層がいないと儲からないビジネスなので貧困層の固定化につながっていく」(83頁)と書いている。

他にも本書では国や自治体の対応、日雇い派遣という仕事の詳細、様々なユニオンの存在など、「ネットカフェ難民」を取り巻く環境について詳しくかつわかりやすく報告されている。人間性を剥奪された状態から全能感を回復するために、ネット右翼になる人の話なども出てくる。

一人一人ができることに限りはあるが、最大の貢献は関心を持ち続けることである。そして正当な異議申し立てを行ったり支援活動をしているNPOに対しては、積極的に寄付やその他の支援をするなど、個人にもできることはたくさんあるはずである。