歴史研究と「歴史戦」の根本的な姿勢の違い

歴史戦と思想戦 ――歴史問題の読み解き方 (集英社新書)

山崎雅弘『歴史戦と思想戦―歴史問題の読み解き方』集英社新書、2019年より。

 「歴史研究とは、過去の出来事について、その全体像を解明するために細部の事実関係を丁寧に検証していくことであり、研究の成果がどんな結論になるのかは、作業を進めている時点では誰も把握していません。あるひとつの新事実の発見により、それまで信じられてきた「こうではないかという仮説」が土台から崩れることも多々あります」(p.70)

 

「言い換えれば、歴史研究が尊重するのは個々の「事実」であって、最終的に導き出される「結論」ではありません。まず「事実」があって、それを適切に配列した結果として導き出されるのが「結論」です」(p.70)

 

「これに対し「歴史戦」は、まず「日本は悪くない」という「結論」を立て、それに合う「事実」だけを集めたり、それに合うように「事実」を歪曲する手法をとっています。先に挙げた井上和彦シンガポールに関する論説は、その実例です。ここで言う「日本」とは、言うまでもなく当時の「大日本帝国」のことで、戦後の「日本国」ではありません」(pp.70-71)

 

「このような根本的な姿勢の違いが存在するので、歴史学の学者と「歴史戦」の論客の間では、ほとんど話が嚙み合うことがありません。ただし、なぜ話が嚙み合わないのかという原因でもある「根本的な姿勢の違い」が明確に認識されることは少ないので、「歴史戦」の論客は、歴史学の学者も自分たちと同じように「勝ち負けを競う論争ゲーム」として、歴史問題を捉えていると理解しているように見受けられます」(p.71)

 

「その結果、自分たちが「歴史戦」の敵だと認識する中国政府や韓国政府の言い分に耳を傾け、主張の一部に同意し、戦争中の「大日本帝国」を批判的に論じる歴史家がいれば、「歴史戦」の論客は「敵に加担する裏切り者」と判断して、これを攻撃します。「勝ち負けを競う論争ゲーム」としての「歴史戦」の世界では、「敵の敵」は「味方」になります(中国共産党政府と対立するチベットウイグルの独立派勢力に対し、「歴史戦」の論客の多くが強い共感を示すのはそれが理由です)が、「敵の味方」をする者は、それが日本人であっても「自分たちの敵」、つまり「反日」になるからです」(p.71)