「できのいい親」は子どもの世話にはならない

愛という名の支配 (新潮文庫)

 田嶋陽子『愛という名の支配』新潮文庫、2019年より。

※下線・強調は引用者

 

「自分の子どもとはいえ、人格をもった人間です。人生の進路まで親の思いどおりに決めようなんて、邪道もいいところです。チンケな権力欲は捨てて、ひたすら子どもを信じたほうが勝ちだと、私は思います」(p.209)

 

「よく、「うちの子は親不孝者で」と嘆く人がいます。でも、子どもを親の思いどおりにしようとするから親不孝が生まれるのです。親の欲や、親の勝手な期待で、子どもが“親不孝者”に仕立てあげられるのです。親として自信のない人ほど、そういう力をふるいたがるような気もします。どんなに親に反発しても、親とケンカしても、子どもは、ある時期までは親の庇護のもとでしか生きることができないんです。ですから親も、子どもをいつまでも自分のものだと思いこみがちです。でも、相手を支配するというのは、おなじだけ相手に依存しているということ。親が自分なりに充実した人生を歩んでいたら、自分のかなえられなかった夢を子どもにたくしたり、過度な期待をかけたりはしないはずです。してはいけないのです」(pp.209-210)

 

「親が想像もしなかったほどに時代も変わります。ですから、親の言うとおりに生きることが、親にとってのしあわせイコール親孝行などでは断じてないと、私は声を大にして言いたいのです」(p.210)

 

「かつては、親の面倒を見ることがすなわち親孝行だ、という考えがありました。ですけど、いま、できのいい親は、子どもの世話にはなりたくないと思っています。自分たちの老後は自分たち自身の力で生きていけるように、きちんと人生設計を描いています」(p.211)