本来学問とはわくわくするものではない(小谷野敦)

すばらしき愚民社会 (新潮文庫)

小谷野敦『すばらしき愚民社会』新潮社、2004年(単行本)より。

 

日本ではポパーは人気がないらしい。そもそもポパーは、マルクスフロイトのような、読む人を興奮させるような議論を否定する。それはアラン・ソーカルが、クリステヴァラカンを否定するのと同じで、知的中間階層は、読んで興奮するような議論、面白い議論を求めるのだ。ポパーソーカルのように、批判するばかりというのは非生産的ではないか、と言う人もいるかもしれない。だがそれは大きな間違いだ。第一に、ある仮説に対して、根拠不十分という判断を下す場合に、代替案を出さなければならない義務はない。「分からない」でいいのである。相撲の行司ではないのだから、どちらかに軍配を挙げなければならないということはない。まじめな学者が書いたものを読んでみれば、分からないことは分からないとはっきり書いてある。そこを推理小説よろしく犯人探しをするのが、インチキ学問なのである。学問というものは、娯楽ではないのだから、「ジンギスカン源義経である」の類のわくわくさせる結論が出るとは限らない。フロイト理論などというのは、この「義経伝説」程度のものなのだ。一般の知的中間階層が読んでいる「心理学」は、ほとんどすべて「通俗心理学」だと言っても過言ではない。この点についてはしかし、子どもや若者が勉強に興味を持つように、「学問はわくわくするものだ」といったことを言ってきた人々にも、責任があるだろう。それなら競馬やパチンコに興奮している「庶民」の方が、よっぽど健全である。(pp.102-103)