読んでおくべき書物を読んでいないネット上の不毛な議論(小谷野敦)

すばらしき愚民社会 (新潮文庫)

小谷野敦『すばらしき愚民社会』新潮社、2004年(単行本)より。

 

現在の「大衆社会」が、それまでのものと異なるのは、以前は「バカが大学へ入っている」程度で済んでいたものが、「バカが意見を言うようになった」点である。(p.109)

 

もちろん、昔だってバカがバカ同士バカを言い合うことはたくさんあった。今は、仲間内でバカを言い合うだけでは済まなくなっている。ここで私が言っているのはインターネット上の、大小の「掲示板」の類のことである。これを覗くと、よくこんなものを世間に公開して恥ずかしくないものだというようなのがわんさとある。以前、売買春の是非をめぐる長い議論を見たことがあるが、驚かされたのは、延々と続く議論を行っている者たちの中に、その議論に関係する書物を読んでいる形跡のある者が一人もいなかったことだ。しかしインターネットの世界ではこの種のことは珍しくない。ただし、良質なサイトもあることはある。だが、彼らはただ自分自身の狭い知見と直観だけで議論に参加し、相手が何か言えばただちに返答をするから、ほんらいならそこで読んでおくべき書物がある、と、覗いている私には思われる場所でも、誰一人そのようなものを参照することも、あるいは参照するよう勧めることもなく、不毛な議論が続くのである。(pp.109-110)