本の復権(橋爪大三郎)

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橋爪大三郎現代思想はいま何を考えればよいのか』勁草書房、1991年より。

※下線・強調は引用者

 

書物とは、簡単に言うと、他者の思考の集積回路のようなものです。最近の人は本を読まない、ということが時々言われますけれども、本を読まないということは、他者(の思考回路)に対して関心がない、ということにほかなりません映像はそれと違って、自分の身体に奉仕してくれるものですから、そのあり方がまったく異なっている。では、書物にどういうものが象徴されるかというと、まず過去の出来事です。また他者といっても、到達距離が非常に遠いんですね。すなわち、本の本質は古典にある。ゆえに、ちょうどアンドロメダ星雲あたりからかすかに地球に光が届くときのように、こちら側にも電波の増幅装置、つまり語学力とか、最低限の基礎知識とか、それなりの用意がなければ受信できない。そういう特徴があります。しかも、恐らく私たちのところに情報が届くころには、発信源の身体は壊滅してしまっている。あるいは、こちらから連絡がとれないところにある。だからそれは、他者の死の痕跡である。他者が死ぬことによって、われわれの人生に何ものかを投げかけてくれた。その最後の輝きが書物です。文明の本質というのは、本からできているんです(pp.171-172)

 

これが一方にあるとしますと、メディアというのはあくまでも、現在に奉仕する。情報化という動きは、現在に過重に価値を置くものなんです。過去と未来を忘れ、べニア板のように、圧力をかけてそれらを現在にくっつけてしまうことなんですよそのどちらがより人間の生を充実させるか、と考えると、今の状況だったら、もう一回本を読み直す。本の復権ということを、どうしても言いたくなります。(p.172)