読書の価値(森博嗣)

 

読書の価値 (NHK出版新書)

森博嗣『読書の価値』NHK出版新書、2018年より。

 

 世の中に、本というのは「無数」に存在している。実は有限なのだが、個人が読める量では全然ない。人生は多めに見積もっても三万日だから、毎日一冊読んでも、僅か三万冊しか読めない。だいたい国内では、平均して一日当たり二百冊の新刊が出ているそうだ。一日に二百冊を読んだとしても、これから出る本が読めるだけで、過去の本までは手が回らないし、本を出しているのは日本だけではない

 人間の数も本の数も、あなた一人に対して圧倒的に多いわけだから、出会いというのは、もうそれだけで奇跡的な確率といえる。そう考えて、出会った人、出会った本を丁寧に扱い、得られるものを見つけようと積極的になった方がよろしい、ということになる。

 人の教養や品格というものは、ある程度、その人の周辺の人々との関係によって形成されるだろう。どんな人間とつき合いがあるのか、誰の影響を受けたのか、といったことが基本となり、積み重なって、その人物が作られていく。これと同様に、読んだ本によって、やはり教養や品格が作られるだろう。(pp.89-90)

 

 人間は、ランダムに選んで勝手に知合いになるわけにはいかない。できるかもしれないけれど時間と労力がかかるし、ときには費用も馬鹿にならない。けれど、本は、幸い短時間で簡単に手に入り、しかも、もの凄く広範囲に、果てしなく多様なものが用意されているのだ。こんな商品はほかに例がない。本だけが特殊なのだ。それは、人間の知恵がいかに広くさまざまなものに及んでいるのか、あるいはいたのか、ということの証でもある

 書店よりも多種類の商品を並べている商売はない。ほとんどの店は、なんらかの目的を解決するためにあって、そのジャンルがだいたい決まっているのに、書店というのは、ただ本と呼ばれる共通の器に入っているだけで、中身がてんでばらばら、何の統一感もなく、世に存在するもの、存在したもの、否、存在しないものまで、なにもかも取り扱おうとしている。そういう人間の興味の無限さが、土に埋まった化石のように残っているもの、それが本なのだ

 だから、変化に富んだ、バラツキ豊かな偶然性を活用するのに、本ほどうってつけのものはない。その恩恵を最大限享受するには、とにかく、なんでもかんでも読んでみること。自分の勘を信じて、背表紙のタイトルだけで手に取ってみること。それが大事な姿勢だということになる。

 時間には制限があるから、実際にはなんでもかんでもとはいかない。だから、そこは、「面白そうだ」という抽象的な判断で篩(ふるい)にかけるしかないだろう。この篩が、個人の勘であり眼力だ。ジャンルを選んではいけない。どんな分野へも飛び込んでいく姿勢が優先される。(pp.101-102)