「自分を認めるために他人に認めてもらう必要はない」(池田晶子)

41歳からの哲学

池田晶子『41歳からの哲学』新曜社、2004年より。

※強調・下線は引用者

 経済効率第一主義と対になるのは、情欲獣欲第一主義である。なんと貧しい我々の文明。文明など知ったことか。居直ってもダメである。空しいのはあなたである。

 出会い系にせよ、ネットチャットにせよ、なぜ人は、さほどにまで他人を必要とするものだろうか。「人とつながりたい」「自分を認めてもらいたい」というのが、ハマる人々の言い分である。しかし、自分を認めるために他人に認めてもらう必要はない。空しい自分が空しいままに、空しい他人とつながって、なんで空しくないことがあるだろうか。人は、他人と出会うよりも先に、まず自分と出会っていなければならないのである。まず自分と確かに出会っているのでなければ、他人と本当に出会うことなどできないのである。(pp.46-47)

 

 見も知らない人と、愚にもつかない話をするよりも、得体の知れない人と、無体なセックスをするよりも、独りでいる方がいい。独りで自分と話している方が、はるかに豊かである。それを知らないのは、楽しみや喜びというのは、全部外界にあるものだ、外界から与えられるものだと、深く思い込んでいるからである。家に引きこもって、パソコンだけで人とつながっている人とて同じである。他人によらなければ、自分の存在理由(レーゾン・デートル)が見出せないのである。(p.47)