尖閣問題についての日本側からの英語論文が少ない(松井芳郎)

国際法学者がよむ尖閣問題  紛争解決への展望を拓く

松井芳郎『国際法学者がよむ尖閣問題』日本評論社、2014年より。

※強調・下線は引用者

まったくの付け焼刃の論文の寄稿を承諾したのは、宜蘭シンポジウムの準備の過程で、中国側にはこの問題に関する英語論文が多いのに対してこれに関する日本人の欧文論文はほとんどなく、したがって外国で紹介される日本の立場はその基礎にある資料の紹介も含めてほとんどすべて中国側の論文からの孫引きだったという事実に驚いたからである筆者は尖閣/釣魚台問題に関する日本政府の立場のすべてが全面的に正しいとは毛頭思わず、したがって日本の立場が批判的検討の対象となることは当然とは思うが、対象の正しい理解に基づかない批判は理論的には無意味で実践的には有害であって、国際的に通用する言語によって正しい情報を提供する必要があると痛感したのである。(p.iii)

 

 この英語論文をもって、尖閣/釣魚台問題からは単位不足ながら卒業したと思っていたところ、2012年秋の紛争の急激な悪化が筆者を再びこの問題に立ち返らせることになった。今度は、どこからかお呼びがかかったわけではない。この事件を契機にして雨後の竹の子以上の勢いで輩出した尖閣問題の著書や論文の大部分は、国際政治の研究者、外交官出身の評論家、ジャーナリストといった人たちの筆になるもので、国際法研究者の仕事は知る限りでは皆無、それだけではなく非専門家も国際法上の論点に触れることにちゅうちょせず、それらの中には国際法のとんでもない誤解や無理解に基づくものが少なくなかったのであるこうした状況に研究者としての良心?を刺激された筆者は、『法律時報』編集部にお願いして英文の旧稿の横を縦にしてその後の動きを踏まえて補足した原稿を掲載していただくことにした。(p.iv)

 

それにしても、時事的な問題について書くのは学者の沽券にかかわるという思いでもあるのか、あるいはそのような論文を学問的業績としては評価しない雰囲気でもあるのか、この問題に限らず国際法とかかわりがある世間の重大な関心事について、国際法研究者からの発言が一向に見られない現状は、日本の国際法学界の危機的な状況を表現するように思えるのだが、いかがだろうか?(pp.iv-v)

 

本書は、日本軍国主義の中国に対する侵略戦争に抗して、また戦後は冷戦政策の下で展開された中国敵視政策に抗して、日中両国の市民のレベルの友好関係の確立のために血と汗を流された――中国でよく使われる言い方では「井戸を掘った」――日中両国の先人たちに捧げられる。(p.vi)