「音楽家は政治になんの貢献もできないが、好奇心の欠如という病に向き合うことはできる」

人間の安全保障と平和構築

第8章「文化・スポーツ活動と心の平和構築」(福島安紀子)より

(下線は引用者)

 「オーケストラ指揮者ダニエル・バレンボイムイスラエルパレスチナの和平を願って、ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団を設立し、毎年夏に合宿し、世界各地で公演している。バレンボイムはアルゼンチン生まれのイスラエル人であるが、パレスチナアメリカ人文学者の故エドワード・サイードと協力してこの管弦楽団を実現した」(p.164)

 

バレンボイムは、イスラエルパレスチナの和平を願い、ワイマールに約70名のアラブ諸国の若手音楽家を招聘してコンサートを企画した。そしてこの式典終了後も同管弦楽団の活動は継続され、長くスペインのセビリアで毎年夏に3週間合宿が行われ、団員たちは演奏の練習をするほかにサッカーや水泳、バスケットボールに興じ、夜は討論の場も持っている。秋には世界各地で演奏会を開いてきた」(p.165)

 

バレンボイムは普段接触することのないアラブ諸国イスラエルの音楽家が寝食を共にして時間を共有することを通じ、音楽への情熱を触媒にして互いを知り合ってほしいと語っている。そして、この楽団に参加する若手音楽家に対しては、「中東紛争の軍事的解決はあり得ないこと、お互いの違いや視点を理解しなければならないことを学んでほしい」と語っている。サイードはこの楽団を「共存への架け橋」と呼んだ」(p.165)

 

「しかしバレンボイムは、中東和平という言葉を用いるのには慎重である。むしろ管弦楽団の役割について「音楽家は政治になんの貢献もできないが、好奇心の欠如という病に向き合うことはできる。好奇心を持つということは他者の言葉を聞く耳をもつということ」と説明している」(p.165)

文化外交の成果測定の難しさ

文化と外交 - パブリック・ディプロマシーの時代 (中公新書)

「文化活動(文化外交や交流外交)の成果は長期的スパンで評価する必要がある。例えば、アレクサンドル・ヤコブレフが米ソの交換留学生として一九五八年に一年間コロンビア大学に留学したことの成果は、彼がミハイル・ゴルバチョフ政権のナンバー2としてペレストロイカを推進するまで、実に二〇年以上経ってから明らかになったともいえる」(p.153)

 

「私がハーバード大学に留学していた一九九〇年代には、アメリカ政府からの資金援助を受けて、同大のケネディ行政学院に、ロシアや中国の将校らが数十名単位で招かれていた。近年は、中国政府の官僚などへの研修も行っているようである。こうした交流事業の成果もまた二〇年、三〇年単位で評価すべきものだろう」(p.155)

 

「二〇一〇年現在、世界約五四ヵ国に五万人以上の元JET生がおり、東日本大震災の際には、彼らが世界各地で被災地のための募金活動や支援イベントを牽引した。各国の大使館、省庁、大学、メディア、ビジネスにも元JET生が数多く存在している。まさに四半世紀におよぶ地道な活動と信頼構築の賜物といえよう」(pp.155-156)

 

「しかし、そのJETプログラムも、二〇一〇年に行われた「事業仕分け」では、「中学校や高校における英語のスコアの伸びに成果が反映されていない」といった理由から「見直し」と判定され、一時は事業廃止の瀬戸際まで追い込まれる有り様だった。生身の外国人と英語でコミュニケーションできたことは、生徒の内面に少なからぬ変化をもたらした――あるいは変化の種を蒔いた――と思われるが、そうした点が考慮されることもなかった」(p.156)

 

「厳密に考えれば考えるほど、ある種の変化がパブリック・ディプロマシーによってもたらされたのかは判断が難しくなる。(中略)

 しかし、同じことは政策全般に言えることではないだろうか。例えば、ある経済政策の成果を因果関係の枠組みに明確に位置づけることや、客観的な測定や評価を行うことは、そう容易ではないはずだ。アメリカが世界恐慌を克服するにあたり、フランクリン・ルーズベルト大統領が行ったニューディール政策が本当に大きく寄与したのか、それとも第二次世界大戦の軍需増加により多くを負っているのかは、八〇年近く経った今日でも経済学者の間で評価が大きく対立している。パブリック・ディプロマシーについてのみ厳密な評価を求めるのはアンフェアではないか。ましてや、パブリック・ディプロマシーは商売ではない。目先の成果や効率を求めることは、そもそも筋違いである。ビジネス・マインドではなく、ディプロマティック・マインドによって評価することが肝要だ」(pp.156-157)

「人間性という歪んだ材木からは、真直ぐなものはかつて何も作られなかった」

 

文化と外交 - パブリック・ディプロマシーの時代 (中公新書)

(下線はすべて引用者)

 「アマゾンの最深部で一万年以上、独自の文化・風習を守り続けているヤノマミ族文化人類学の教科書でもしばしば取り上げられる部族だが、NHKはブラジル政府、および部族の長老七名との一〇年近い交渉の末、TV局として初めて長期(のべ一五〇日間)の同居を許され、二〇〇九年に『ヤノマミ~奥アマゾン 原初の森に生きる』として放送、各界から高い評価を得た。

 番組は、一四歳の少女が、部族の伝統に従って森のなかで出産したばかりの赤子を「人間」としてではなく「精霊」として天上に送ることを決意し、赤子を白蟻の巣のなかに入れた後、肉を食べ尽くす白蟻ごと焼いて葬るという、衝撃的なシーンから始まる。

 ヤノマミ族の少女が行っているのは「人殺し」だろうか。いつから人は「人間」となるのだろうか。人権や生命をめぐる、ごく基本的な認識でさえ私たちとは共有されていない。こうした差異や多様性を私たちはどこまで受け入れるべきだろうか。そして、受け入れることができるのだろうか。「ヤノマミ」とは「人間」を意味し、取材班が「ナプ(ヤノマミ以外=“人間以下”)」と称されていたのが印象的だった」(p.128)

 

彼らがアマゾンの奥地にいる限り、あるいはごく少数の集団である限りにおいて、私たちは「寛容」の側にいられるかもしれない。しかし、すぐ近くに、大規模に居住していたとしたらどうだろうか。どこまで「文化の多様性」を尊重する立場を貫けるだろうか。こうした視点や問題点を提起することで、文化人類学は安易な文化国際主義や普遍主義の傲慢を諫める役目を担ってきた」(pp.128-129)

 

「イギリスの思想家アイザイア・バーリンは、その有名な講演「理想の追求」(一九八八年)において、絶対的な理念のあくなき追求がもたらす陥穽に対して警鐘を鳴らした。保守であれ、リベラルであれ、極端なイデオロギーのもとに「理想の追求」を急ぐときほど、大いなる災いがもたらされることは、歴史の証明するところでもあるバーリンはカントの「人間性という歪んだ材木からは、真直ぐなものはかつて何も作られなかった」という言葉を愛好したが、文化国際主義や普遍主義を誇示する誘惑に駆られたときほど、かえって自らを批判できる「器の大きさ」や「自省力」、すなわちメタ・ソフト・パワーが求められるのかもしれない」(p.130)

社会科学の軍事的関与

文化と外交 - パブリック・ディプロマシーの時代 (中公新書)

渡辺靖『文化と外交:パブリック・ディプロマシーの時代』中公新書、2011年より

(下線はすべて引用者)

「二〇〇一年の同時多発テロ事件後、アメリカ中央情報局(CIA)は(中略)奨学金制度を通して、文化人類学や地域研究を専攻する学生の確保に乗り出しており、学会の内外でその是非をめぐる論争が繰り広げられている」(p.125)

 

アメリカ陸軍は、文化人類学を中心とする社会科学者を軍に同行させて情報収集などに協力させる「人的形勢システム(Human Terrain System, HTS)」の運用を二〇〇六年から開始している。これは文化人類学のフィールドワークの手法を利用しながら、イラクアフガニスタンなどのテロ多発地域で「なぜ子どもたちは米軍に石を投げつけるのか」「どこに新たな道路をつくるのがよいか」「米軍はどの部族と話をするのがよいか」などと地元住民に問うことで人的情報や地域情報を入手し、現地におけるオペレーションを円滑に進めようとするプロジェクトである」(pp.125-126)

 

「こうした政治的関与――いわゆる「応用的実践」――に対しては、学問の中立性や客観性に反するという批判が絶えない一方、フィールドにおける現実的諸問題に対して何らかのコミットメントを拒否することは現行システムの黙認にすぎないという反論もある。ここでは倫理的な是非を問うことよりも、文化国際主義の象徴ともいえる文化人類学でさえ、ナショナルな政策論のなかに包摂されてきた事実を指摘するにとどめたい」(pp.126-127)

「異文化交流が親しみをもたらすとは限らない」(フルブライト)

文化と外交 - パブリック・ディプロマシーの時代 (中公新書)

渡辺靖『文化と外交:パブリック・ディプロマシーの時代』中公新書、2011年より

「イギリスのローズ奨学金をモデルにフルブライト奨学金を創設したアメリカのJ・ウィリアム・フルブライト上院議員は、一九六一年、アメリ連邦議会上院で次のように証言している。

(中略)

『私は教育交流プログラムが必ずしも人びとの間に親しみを生み出すとは思っていません。しかし、それは本質的な問題ではありません。もしも同じ人間としての感覚――よその国に住んでいるのは、私たちが恐れるようなドグマではなく、同じ人間であるということ――を心で感じとることができれば十分だと思っています。自分たちの国の人間と同じく、喜びや悲しみ、残酷さや優しさを持った同じ人間であるということが』」(pp.24-25)

博士論文と孤独

孤独であるためのレッスン (NHKブックス)

「大学院生時代、特に博士後期課程やオーバードクター(博士課程を終えても定職にありつけない状態)の時代に、論文がうまく書けないときなど、同じ世代の友人たちはみんな頑張って働いて、結婚したり子どもをつくったりしているのに、自分はいったい何をしているんだと、取り残されたような気持ちになります。何も成果があげられないまま、無意味な時間だけがただすぎていく。そんな体験を、多くの文科系大学院生たちは味わったことがあるはずで、少なからずの人が否定的感情にうちひしがれてその道をやめていきます」(p.133)

 

「しかし、孤独への資質がある人間にとって、そんな感情に支配されるのは、せいぜい最初のうちだけ。社会との接点を持たずに、ひたすら自分の内面世界を探求する――そんな今思えば、夢のようにぜいたくな時間の魔力に取り憑かれていくはずです。

 私の場合、博士論文執筆最中の二年間がそうした生活のピーク。朝、一一時ごろに寝て、夕方四時か五時ごろに起きる。それ以外の時間は――食事と、トイレと、週に一度の入浴時間を除いて――すべて思索と論文執筆のために費やし、その世界に純粋に没頭することができました。

 そうした生活を始めた最初のころは、たしかに苦痛でしたが、毎日そんな生活をしていると、やはりだんだん慣れてきます」(p.134)

 

「たとえば、博士論文の執筆だとか、ある作品を完成させるだとかのために、「自分の世界」に没頭する必要が生じたとき私たちはみずからあえて、積極的に社会から離脱し、ドロップアウトします。「共有された時間の流れ」からみずから進んで離脱していくのです。孤独であることを選ぶ、というのは、ある意味では、この「共有された時間の流れ」からの積極的な離脱を意味しています」(p.135)

 

「博士論文に取り組んでいるときの私の状態は、ちょうどそんな感じで、社会の流れや、周囲の人々の気持ちに左右されることなく、ただただじっと、自分の“存在の核”の近くにいる。そこから離れず、ずっとそこの側にいる。ずっとそこに触れている。そんな体験の積み重ねで、たしかにとても過酷でつらかったけれども、ある意味では、これ以上ないほど濃密な、充実した時間の連続でした。時間の“濃さ”という点では、こんなに充実していた時はあまりない。それに比べれば、最近のやたら忙しく、外を飛び回っている時間の何と“薄い”ことか……。」(p.136)

 

「もう一つ、大学院生時代や、大学教員になってからもまだ講演依頼や執筆依頼がそれほど多くはなかった駆け出しのころ(といっても、今でも私はまだ三八歳で、じゅうぶん駆け出しですが)実感したのは、週末には人でごった返しているデパートや公園、コーヒーショップ、映画館などに、平日の昼間に行くことの快感! です」(p.137)

 

「特に忘れられないのは――私が院生時代をすごした筑波学園都市には、なかなか素敵な公園がいくつかあり、土・日は結構人で埋まっていたのですが――よく晴れたウィークデーの午後に、それほど混み合っていない公園に行って昼寝でもしているときなど、「みんながあくせく働いている平日の昼間に、こんなのんびりできるなんて、なんて俺はしあわせだー」と、のほほーんとした気分で、人生の勝利者の気持ちを味わったものです。今の日本、たとえ貧乏でも、自由な時間さえあれば、そこそこ優雅な生活はできるのです」(p.137)

「忙しすぎる=スケジュール管理に失敗した証」

孤独であるためのレッスン (NHKブックス)

「「忙しい」こと、とりわけ忙しすぎることは、決してよいことではなく、スケジュール管理に失敗した証として、むしろ、恥じるべきことなのです」(p.88)

「私はあえて断言しますが、忙しいこと、人づきあいが多いことなどは、どちらかというと“浅い”人生を表すものとしてあまり好まれなくなる時代が、もうしばらくすると、やってきます。“多さ” “広さ” “速さ”といった物差しは、人生の価値の尺度としてどんどん見放されていき、むしろ、人生の“浅さ”を示すものと受け取られるようになるでしょう。そうした、水平次元の価値尺度は急速に価値の下落を落としていくはずです」(p.88)

「それに変わって登場するのが“深さ”の次元です。そして、“深さ”の次元が人生の価値尺度として重要視されるとき、不可欠となるのが、孤独になる能力、充実した孤独、豊かな孤独をエンジョイできる能力です」(p.88)

   *   *   *

「孤独を深めることができた人、それゆえに、独自の精神世界を展開しえている人にとって、瑣末な人間関係に気を費やして疲れ果ててしまうことは、耐えがたい、愚かな行為にほかなりません。事務的な仕事やさまざまな交渉事に人生の大半を費やすことは、そんな人から見れば、もはや死んでいるに等しい。生きていることにはならないのです」(p.129)

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「もっと仕事をしたい、活躍したい、と思えば、どうしても、生活のスピードは速くなってきます。これは私たちの自我にとっては、有能感を与えて快適です。しかし、あまりにそれがすぎると、私たちの魂がないがしろにされ、息苦しくなってきます。魂は、必ずしも社会で定められた共通の時間に適合しない、固有のリズムを持っているからです。

 したがって、心全体のバランスを取るためには、自我の欲望を満たしながら、魂のリズムですごす時間を確保することが大切。そしてそのためには、ある程度の時間、社会から――ということはつまり、この社会における合意された時間から――“離脱”することが必要になってきます。魂の渇望に耳を傾けるための時間と空間を用意しなければ、そのうち、恐ろしい逆襲にあうことでしょう」(pp.140-141)

 

ゲシュタルトの祈り

わたしはわたしのことをやり、あなたはあなたのことをやる。

わたしはあなたの期待に応えるために、この世にいるわけではない。

あなたはわたしの期待に応えるために、この世にいるわけではない。

あなたはあなた、わたしはわたし。

もし偶然にお互いが出会えれば、それは素晴らしいこと。

もし出会わなければ、それはそれで仕方がないこと。(pp.98-99)