るり姉

るり姉 (双葉文庫)

椰月美智子『るり姉』双葉文庫、2012年

3年くらい前、生前の母に病床で読んで元気出してもらおうと思って贈った本。結局文庫本一冊読む力も回復できずに母は逝ってしまった。読まれることのなかったこの文庫本は、いま自分の手元にある。

人間の生命力が迸(ほとばし)り出てくるような小説。

「人間が過剰に断定的になるのは、他人の意見を受け売りしているとき」

日本辺境論 (新潮新書)

内田樹『日本辺境論』(新潮新書、2009年)より ※強調は引用者

「今、国政にかかわる問いはほとんどの場合、「イエスかノーか」という政策上の二者択一でしか示されません。「このままでは日本は滅びる」というファナティックな(そしてうんざりするほど定型的な)言説の後に、「私の提案にイエスかノーか」を突きつける。これは国家、国民について深く考えることを放棄する思考停止に他なりません。私たちの国では、国家の機軸、国民生活の根幹にかかわるような決定についてさえ、「これでいいのだ」と言い放つか、「これではダメだ」と言い放つか、どちらかであって、情理を尽くしてその当否を論じるということがほとんどありません」(p.118)

 

「たとえば、私たちのほとんどは、外国の人から、「日本の二十一世紀の東アジア戦略はどうあるべきだと思いますか?」と訊かれても即答することができない。「ロシアとの北方領土返還問題の『おとしどころ』はどのあたりがいいと思いますか?」と訊かれても答えられない。尖閣列島問題にしても、竹島問題にしても、「自分の意見」を訊かれても答えられない。もちろん、どこかの新聞の社説に書かれていたことや、ごひいきの知識人の持論をそのまま引き写しにするくらいのことならできるでしょうけれど、自分の意見は言えない。なぜなら、「そういうこと」を自分自身の問題としては考えたこともないから少なくとも、「そんなこと」について自分の頭で考え、自分の言葉で意見を述べるように準備しておくことが自分の義務であるとは考えていない。「そういうむずかしいこと」は誰かえらい人や頭のいい人が自分の代わりに考えてくれるはずだから、もし意見を徴されたら、それらの意見の中から気に入ったものを採用すればいい、と。そう思っている」(pp.118-119)

 

「そういうときにとっさに口にされる意見は、自分の固有の経験や生活実感の深みから汲みだした意見ではありません。だから、妙にすっきりしていて、断定的なものになる。人が妙に断定的で、すっきりした政治的意見を言い出したら、眉に唾をつけて聞いた方がいい。これは私の経験的確信です。というのは、人間が過剰に断定的になるのは、たいていの場合、他人の意見を受け売りしているときだからです」(p.119)

 

主張するだけで妥協できないのは、それが自分の意見ではないからです」(p.120)

 

「ある論点について、「賛成」にせよ「反対」にせよ、どうして「そういう判断」に立ち至ったのか、自説を形成するに至った自己史的経緯を語れる人とだけしか私たちはネゴシエーションできません。ネゴシエーションできない人」というのは、自説に確信を持っているから「譲らない」のではありません。自説を形成するに至った経緯を言うことができないので「譲れない」のです」(p.121)

鳩山政権の最大の「負の遺産」とは?

普天間・辺野古 歪められた二〇年 (集英社新書)

宮城大蔵、渡辺豪『普天間辺野古 歪められた二〇年』(集英社新書、2016年)より

 「「最低でも県外」に限らず、鳩山が掲げたさまざまな「理想論」そのものが「馬鹿げたこと」だと見なされるような風潮を蔓延させることになったのが、鳩山そして鳩山政権が遺した最大の「負の遺産」となった観がある。しかし鳩山政権への評価とない交ぜになって、「最低でも県外」を「馬鹿げたこと」だと一蹴する風潮は、あくまで日本本土の話であったことに留意しなくてはならない。戦略や政治力の欠如によって混乱を招いたことは別として、鳩山がこだわった「最低でも県外」、すなわち普天間の「代替移設」がなぜ沖縄での「新基地建設」という形にしかならないのか、という疑問は沖縄では至極当然のこととして受け止められた。それを一蹴する本土との「温度差」は、やがて沖縄に対する「差別」だと論じられるようになる」(pp.156-157)

 

 

 

 

「モチロン アイシテル!」

世紀のラブレター (新潮新書)

梯久美子『世紀のラブレター』(新潮新書、2008年)より

「旅先、獄中、そしてもうひとつ、夫婦間で愛の手紙がやりとりされる状況がある。どちらかが病に倒れ、明日をも知れない状態になったときである。病は、夫婦の愛情をあらためて確認するきっかけともなる。病床からの恋文をいくつか引いてみる。最初は、平成十八年七月に亡くなった橋本龍太郎元首相である」(p.134)

 

「モチロン アイシテル!

 ちょっとゆがんだ、跳ねるような文字で、大きくそれだけが書かれている。

 平成十四年二月二十六日夜、橋本は自宅で心臓発作を起こした。運ばれた病院で応急処置を受け、症状が落ちついた二十八日。夫人は酸素マスクやチューブのため喋ることのできない橋本に紙とペンを渡し「何か言いたいことある?」と訊いた。そのとき橋本が書いたのがこの言葉だった」(p.134)

 

「「“愛している”という言葉は、あの人にとっては“こんにちは”みたいなものなんです。しょっちゅう言っていましたから」と久美子夫人。ではぜひ若い頃の甘いラブレターもとお願いし、結婚二年目の頃の手紙を見せてもらった」(pp.134-135)

 

「「こんな手紙を発表してしまっていいのかしら。龍が生きていたら怒られてしまうわね」と夫人。若い頃の手紙は、子供たちの目にふれないよう、たびたび場所を変えて隠していたという。「今回、お見せするために探して、子供たちにもばれちゃった。実はもっとすごいのが沢山あるんですよ。みんな大笑いで、もう、恥ずかしかったわあ」大らかに夫人は笑う。この明るさが、苦境のときも橋本を支えたことは、よく知られている」(pp.135-136)

 

参考サイト:

https://ameblo.jp/koriastay/entry-10657599562.html

戦争の支配的優位を明け渡しつつある米軍

フォーリン・アフェアーズ・リポート 2019年6月号

クリスチャン・ブローズ「AIと未来の戦争――アメリカが軍事的に衰退する理由」『フォーリン・アフェアーズ・リポート』2019年6月号より。

 

「この20年にわたってアメリカが中東での紛争に気をとられている間に、中国とロシアなどのライバル国は戦略を細かに検証し、あらゆる領域でアメリカのシステムを探知する接近阻止・領域拒否(A2AD)能力を開発し、大規模な精密誘導兵器で米軍を圧倒する計画を進めた。要するに、ライバル国はアメリカの高額な軍事システムを破壊するために、同様に高額で大規模なシステムを配備した」(p.25)

 

「一方で中国は、「人工知能その他の先端テクノロジー部門で世界のリーダーになる」ためのメガプロジェクトにすでに着手している。このプロジェクトが軍事領域に特化しているわけではないが、そのすべては軍事的に応用できるし、「軍民の融合」ドクトリンを掲げる中国軍に恩恵をもたらせる」(p.25)

 

「米軍がそのデータを無意味な副産物として排ガスのように扱っているのに対して、中国はそれを大切な石油であるかのように上からの命令で備蓄させている。目的は将来の戦争における支配的優位を確保する上で不可欠と北京が考える自律的でインテリジェントな軍事システムを動かすためだ」(p.25)

 

「すでにひどい状態にあるアメリカの立場は、急速に悪化しつつある。2017年のランド研究所の報告は「妥当な推定を基にすれば、米軍は次に戦闘を求められる戦争で敗北する」と結論づけ、同年、ジョセフ・ダンフォード統合参謀本部議長も、はっきりとした表現で「われわれが現在の軌道を見直さなければ、量的・質的な競争優位を失うだろう」と警告している」(p.25)

 

アメリカにとって最大の危険は、通常戦力抑止が形骸化しつつあることだ。北京やモスクワの指導者たちがアメリカとの戦争に勝てるかもしれないと考えれば、大きなリスクを引き受け、攻勢にでるだろう。バルト諸国、フィリピン、台湾、日本、韓国を守るために「ワシントンは本当に米軍を派遣するだろうか」という疑問を煽り立てることで、中ロはアメリカの安全保障コミットメントを着実に損なうような行動をとるだろう。強制外交から、経済的脅し、他国の内政への干渉に至るまでのあらゆる方法を通じて、(米同盟諸国を揺るがそうと)思うままの行動をとるだろう。次第に勢力圏を広げ、新たに取り込んだ地域を権威主義イデオロギー、監視国家、縁故資本主義となじみのよい地域に作り替えようとする。要するに、孫子が言う「戦わずして勝つ」戦略をとるだろう」(p.25)

 

ペンタゴン、議会、民間部門には、アメリカの国防プログラムが変化を必要としていることを理解している、能力のある誠実な指導者が数多くいるのは事実だ。しかし、問題の本質をもっとも理解している指導者は、それに必要とされる大きな変化に対応していく権限を欠いている。一方、大きな権限をもつ指導者は問題を理解していないか、それにどう対処すべきか分かっていない」(p.29)

事業仕分けされるJETプログラム

〈文化〉を捉え直す――カルチュラル・セキュリティの発想 (岩波新書)

文化政策には目先の数値や効果とは異なる尺度が必要な場合もある。その好例がJETプログラム(語学指導等を行なう外国青年招致事業)だ。元々は外国語教育と国際交流の促進支援を通じた日本の地方自治体の国際化を目的として一九八七年に始まった事業だが、今日では、知日派養成という観点から、パブリック・ディプロマシーの成功事例として海外からの評価もすこぶる高い。現在、世界六〇か国以上に六万人以上の元JET生がおり、各界で活躍している(米国務省に一二〇人以上、在京米国大使館だけでも二〇人ほどの同窓生がいる)。東日本大震災の際には、彼らが被災地のための募金活動や支援イベントを世界各地で牽引した。まさに四半世紀におよぶ地道な活動と信頼構築の賜物と言えよう。しかし、そのJETプログラムも、例えば、二〇一〇年に民主党政権下で行なわれた「事業仕分け」では「中学校や高校における英語のスコアの伸びに成果が反映されていない」といった理由から「見直し」と判定され、一時は事業廃止の瀬戸際まで追い込まれる有り様だった。(p.146)

不断に生じる境界線の再編

〈文化〉を捉え直す――カルチュラル・セキュリティの発想 (岩波新書)

「米国人の社会学者があるセミナーで吐露したエピソードは興味深い。少年期にハバナキューバ)からマイアミ(米フロリダ州)に移住した彼は、ずっと「よそ者」感覚に苛まれ、全米有数の大学で教鞭を執り始めてからも、自らを「キューバ人」と紹介し続け、「米国人」と称したことは皆無に等しかった。しかし、二〇〇一年の米同時多発テロの直後、自分が“We Americans”と知らず知らずのうちに発していることに気付き、驚愕したという。テロという外的に晒されることで、無意識のうちに「米国人」というアイデンティティが生起したわけである」(pp.161-162)

 

「何かしらの出来事を契機に自己認識が変容する――ないし再構築・再編集される――ことは決して珍しくない。例えば、海外経験を通して祖国愛に目覚める者もいれば、逆に、祖国を疎んじるようになる者もいる。ナショナリストとインターナショナリスト、あるいはコスモポリタンを分岐する「交叉点」は想像以上に脆いのかも知れない」(p.162)